2010年12月17日金曜日

ドラッカーの「マネジメント」。

この本は、素晴らしい。


今、座右の書は何かと聞かれたら、迷わずこれだと答えるだろう。


ドラッカーは、効果的なマネジメントが実践できるマネージャーの存在こそが社会の発展の原動力になる、と考えている。自分も本当にその通りだと思う。有能なマネージャーになるには、ドラッカーの「マネジメント」を読むだけでは、勿論不十分だが、しかしドラッカーを理解して、すぐれたマネジメントを実践できるマネージャーが増えれば、日本企業の競争力も、役所も、NPOも、教育機関も、医療法人も、間違いなくパフォーマンスレベルが格段に向上するだろう。そして経済的富の余剰が増し、行政サービスもよくなり、文化芸術も活性化し、社会全体の暮らしの「豊かさ」も必然的に増すに違いない(だからといって、リニアに「幸福度」が増すかどうかは、また別の問題ではある)。


そう思って、最近自分の同僚にも「ドラッカーを読む会」やらない?と声かけをしてみたが、いまいち反応がよろしくなく(英文で800ページ以上もある、というのが原因のひとつかも知れない)、仕方なく現在はひとりで(主に湯につかりながら(笑))読んでいるが、何とかこの本のエッセンスをひとりでも多くの人と共有したいものだ、と思っている。


ドラッカーの「マネジメント」は、もちろんあの「もしドラ」に出てくる本である。もともと30年以上も前の1973年に書かれた本であるが、「もしドラ」のお陰で、いまだに本屋でも平積みのベストセラーだ。これはすごいことである。


しかし自分が「マネジメント」を手にしたのは、「もしドラ」が出る前で、今から2年ぐらい前の事だと思う。その頃、自分は海外のとある会社の経営管理の仕事を任されていた。ヨーロッパ人の社長が経営するこの会社は、残念ながら業績が右肩下がり。何とか経営を立て直さなければならなかったが、そのためには、この社長をモチベートし、具体的な助言を行い、意味のある行動を起こさせ、成果を上げさせなければならなかった。しかし、これは容易なことではない。これをするためには、大前提として「自分がこの会社の社長だったら、何をするか?」が明確に見えていなければならないし、そのためには、そもそも経営者の仕事とは何なのか、をよく理解する必要があった。


そこで何か参考になる本はないものか、と丸善にいったら、ダイヤモンド社から赤いカバーのドラッカー全集のようなシリーズがずらりと並んでいた。タイトルを見て行くと目に留まったのが、「経営者の条件」だった。早速これを読んでみたところ、これが素晴らしく目から鱗でえらく感動したのである。それでこんないい本書く人なら、原典にあたってみよう、ということで、"Management: Tasks, Responsibilities, Practices"を購入したのであった。


これらを家で読みながら、経営管理の仕事を日々していたのだが、ドラッカーを読んで自信をつけた自分は、まるで自分が社長になったつもりでやってたので、本当の社長からしてみると、かなりうざかったと思う(笑)。


今では経営管理の仕事から離れてしまったが、それでも日々ドラッカーを読むのは自分にとっては、大いなる楽しみのひとつになっている。



2010年12月13日月曜日

中国といえば、お茶。

「もう最後なんだから、こっちのお金は全部使っちゃおう」。


早朝に発つ帰国便に乗るため、我々は朝5時45分にホテルでタクシーを予約し、そこから約30分で上海国際空港に着いていたから、その時点でまだ6時30分を過ぎていなかった筈だが、免税店の前にあるカフェで朝食を取ろうとする我々のテーブルには、点心の乗ったせいろに加えて、その脇には、青島ビールの瓶がちょこんと立っていた。


その日の朝は、前日までのうだるような日差しと暑さが嘘のように、空はどんよりと暗く、気温も一気に下がって、しとしとと降る雨が、ホテルの周りの雰囲気を一晩でがらりと変えたかのようだ。


「なんか、いいタイミングというか、よかったね、今までずっと天気がよくて」。


そう言いながら、睡眠不足で食欲が進まない自分は、カフェラテをちびりちびりと飲んでいた。朝カフェラテを飲むのが好きになったのは、多分2002年頃からだと思う。パリに行った時に、パリジャンが朝食にパンオショコラを食べながら、カフェラテを大きなカップで美味しそうに飲んでいたのをまねしたのだ。それからというもの、「朝の飲み物といえば、カフェラテ」。これが自分の定番であった。しかし考えてみると、この空港での「朝ラテ」を最後に、自分はカフェラテどころか、殆どコーヒーを飲まなくなってしまった。この旅を機に、コーヒー党から、お茶党へと乗り換えたのである。その理由は前日に買い込んだ数々の中国茶にあった。


前日、ひとしきり静安寺でコイン投げに興じた我々は、意外とあっさりと静安寺を後にし、すぐとなりにあるデパートに行くと、夕方までの半日をこのデパートで、もう少し厳密に言えば、地下一階の食品売場で過ごしたのであるが、ここで大量の中国茶を買い込んだのだ。


中国と言えば、何と言っても、世界のお茶の総本山だ。それは各国でお茶が何と言われているかを知れば自ずとそれが分かるだろう。ヨーロッパで茶飲み文化で知られる英国のteaもロシア語のчай(チャイ)も、語源は、中国の「茶」である。ついでに、トルコ語でもペルシア語でもスワヒリ語でも、音で言えば、チャイというそうだ。ちなみに紅茶の世界では、インドも有名だ。しかし、これはインドを植民地としていたイギリスが中国からお茶を持ち帰ってインドで栽培を始めたのが起源である。とにかくお茶といえば、中国、中国と言えば、お茶なのである。


もちろん中国には様々な種類のお茶がある。中国ではお茶は発酵度に応じて分類され、一般に、緑茶、青茶、紅茶、黒茶の4種類がある(白茶、黄茶、もある)。周知の通り、日本で生産されているものは殆ど全て「緑茶」だ。日本でのお茶の種類は、栽培方法などによって分類しているもので、中国の分類で言えば、全て緑茶の範囲である。これだけでも、中国のお茶の種類がどれだけ豊富か、想像がつくだろう。


今回私は、緑茶は日本にもあるのと、紅茶は、先日イギリスに行った同僚から私の好きなフフォートナムメイソンのものをたくさん頂いていたので、青茶と黒茶を買い込んで来た。青茶は、いわゆる鳥龍茶である。このカテゴリーでは、鉄観音が有名だ。黒茶は、もっとも発酵が進んだもので、プーアル茶がこれに当たる。今回一番たくさんの量を買ったのは、ジャスミン茶であるが、ジャスミン茶は香り付けをしたバリエーションであって、分類としては青茶に入る。


こうして持ち帰ったお茶を毎日飲んでいるうちに、気がついたらお茶ばかり飲むようになっていた。しかし、もちろんこれはいい事である。というのは、コーヒーの効能というものは、眠気覚まし以外には聞いた事がないが、お茶はもともと「薬」として飲まれていただけあって、ダイエットから解毒からビタミンから美肌効果まで、とにかく様々な効能があるからである。


「しかし、やっぱり中国は勢いがあったよね。ニュースも前向きなのばかりだ」。


前日の買い物の後、歩き疲れた我々はホテルの目の前にある足裏マッサージにいったのだが、あまりに疲れていたので、1時間のマッサージが終わった後も、そこのリクライニングチェアから起き上がることなく、さらに1時間ほどずっとテレビを見ていたのである(よく追い出されなかったものである)。この時に見たニュースが衛星の打ち上げや万博など、とにかく明るいニュースばかりだった。ニュースの後は、中国のドラマを見ていたが、「上海上海」という近代を舞台にしたこのドラマでは、なんとあのサッスーンが登場していて大変面白かった。


「で、結局中国のこれからは、一体どうなるんだろうか?」


我々はすでに飛行機に乗り込んでいた。窓の外には、強く降りしきる雨が見える。


(遅れずにちゃんと飛び立つだろうか?)


内心そう思って心配したのも束の間、定刻通りに飛行機は離陸した。


「実は、さっきまで少し中国の今とこれからを考えて整理してみた。まず中国の高い成長率の理由は工業化だ。農村からの労働力が都市部で第二次産業に従事しているのだから、いやでも成長率は上がる。沿海部でつくった製品を輸出して得た利潤で国庫も潤い、それが公共投資にまわって、インフラを発達させながら、不動産業が潤って来た。ところが、まだまだ農村部には大量の人口を抱えていて、貧富の差が広がって来ている。政府としては、もっともっとこれらの農民に都市部で職を準備しないといけないだろう。そう考えると、まだまだ輸出に依存するモデルを放棄できない。となれば、元はもう少し安いままでなくてはならない筈だ。まず中国政府は元の切り上げ圧力には、この点からそう簡単には応じないだろう」。


「なるほど」。


「でも、一方で、同時に内需拡大も推進する必要がある。これは富の分配率を見直すことに他ならない。要は、賃金上昇が必要だ、ということだ」。




そこまで言うと朝食が運ばれて来た。さっきあんなに食べたが、最後の中華料理だと思って、中華風焼きそばを食べる。これが結構旨い。しかし、通路を挟んで隣のアメリカ人はどうやら中華には興味がないようだ。


"Oh, no thank you"


というと、リクライニングシートも戻さず、もちこんだBurger Kingの袋からむしゃむしゃ食べ始めた。ついに食事らしい食事がとれた、とでも言い出さんばかりの雰囲気である。


「でもさあ、日本の高度成長って、1950年ぐらいからだとすると、約30年だろう?それ以上長い間高成長が続くのも難しいよね。中国って、もう何年高成長が続いているんだろうか?鄧小平の時代からだとすると、1980年代で、もう約30年だ。その意味では、これからは、未知の領域に入って行く、とも言えるのだろうか」。


「これからの中国政府の経済政策の舵取りは間違いなく簡単ではないよね。とにかく不動産バブルをはじけさせないように、マネーの量をコントロールしなくてはいけない。しかしホットマネーは常に外からも入ってくる。量的緩和をしている昨今ではなおさらだ。しかし一方で、景気に水をかけることもできない。賃金上昇となると輸出企業の競争力が低下したり、企業全体の収益率も減ってくるかも知れないけど、同時に内需が増えてくれば、新たな経済運営が可能になってくる」。


「しかし、とにかく我々が見た範囲だけで言うと、全体的には間違いなく買いだ。特に上海の人は当たりが強く、国際的にも物怖じしないキャラクターがある。国民性だけでいうと、たくましく国際社会で生きて行く力があるように思うよね」。


朝っぱらから、偉そうなことを話していると、CAが早々と食事を片付け始めた。


"Ladies and gentlemen, we will be going through some turbulence in about 10 minutes, so please remain seated and fasten your seat belt."


機内アナウンスによると、どうやら揺れるらしい。すると、機体が小刻みに上下運動を始めだした。その時である。どーんっと機体が大きく沈むと、機内からは、「きゃー」という大きな悲鳴が湧いた。


(なんてこった。これはボーイング747だぞ)。


欧州域内の小型飛行機なら何度も怖い思いをしたことがあるが、ジャンボ機でこれ程揺れたことは一度もない。


"Ladies and gentlemen, please fasten your seat belt."


機内アナスンスが繰り返される。


さっきの大きな揺れで緩んだシートベルトを締め直そうとベルトを引っ張った。ところがいくら引っ張っても一向に締まらない。


「あれっ?おかしいな」。


するするとベルトを引っ張ると、そのままなんと、端っこが出て来てしまった。ベルトが根元から外れてしまっているのだ。


「おいおい、これはまずい!」


次にあんな揺れがきたら、天井に頭を打ってしまう!そう思うと、焦って、CAを呼んだ。しかし、飛行機が下降を始めたため、CAもすっかり自分の席について自分のベルトを肩からかけはじめている。自分は、取れてしまったシートベルトを見せながら、CAを再度呼んでみた。とにかく他の空いている席を探してもらって、そっちに早く移らねば!


"Look, my seatbelt has come off!!"


しかし、シートベルトをし終わった今、これから席をたって面倒を見てくれそうな気配が全くない。そのCAからは、こう返って来た。


"Hold on to your arm rest!"
(手すりにつかまってください)。


いや、それは無理だ。いくらなんでも、あんな揺れがきたら、いくら掴まってたって、それは無理だろう!さっきまで隣でBurger Kingのポテトを食べてたアメリカ人も、これには驚いている様子だ。


するとまた機体が揺れ始めた。着陸態勢に入って、高度が下がって来たため、成田上空の厚い雲を通過しているのだ。


まずい。しかしシートベルトの端を見てみると、フック状になっている。しかし折れている訳ではない。(一体どこから外れたんだろう?)シートの左側をめくってみると、鉄の棒が現れ、隣の席のベルトもここから出ている。これだ。焦りながら何度もフックをかけようとする。


「カチャ」。


はまった!よし。すると間もなく、成田空港の滑走路に無事着陸を果たした。成田も上海に違わず、強い雨が降っていた。


(上海編、終わり)

2010年12月9日木曜日

静安寺(ジンアンスー)

上海の最終日にあたる4日目は、その前々日がそうだったように意気揚々と早朝のジョギングから開始する程の元気は残っていなかった。


前日は二日目の万博に乗り込み、その前の日に中国、米国という現代の覇権を争う2大国のパビリオンを見たのに続き、朝早くから炎天下を精力的に歩き回った。その結果、インド→タジキスタン→キルギスタン→日本→フランス→オランダ→クロアチア→スロベニア→リトアニア→アルゼンチン、と前日を遥かに上回る成果(笑)を上げられたのである。


「しかし、これだけ見ると、やっぱ万博って、面白いよね。国によって、力の入れ方とか全然違うし」。


例によって朝食はゆったりモード。最終日の今日は食べ始めで既に9時をまわっている。


「しかし、あれだね。ヨーロッパのと比べると、日本は本当真面目だよね」。


日本パビリオンでは、建物のつくり、展示物のつくり具合、出し物の種類と数、等で他のパビロンを圧倒しており、「すごい」というよりも、「真面目だなあ」という感想が第一に湧いてきた。国の威信をかけて真面目にパビリオンを出す。そんなことは当たり前ではないか?と思われるかも知れないが、国によっては、完全に手抜きした様子がありありと分かるのである。


「やっぱりヨーロッパの国は、こんなんじゃ勝負しないんだな。余裕だよ。余裕」。


数日前に外難地区でヨーロッパがアヘン貿易で中国をこじ開け、とてつもないビル群を建てて中国を支配した様子をまざまざと見せられた後だけに、思わずヨーロッパの底力に怖れをなしてみせる。


「それにしても、日本のあの舞台は頂けなかったなあ」。


日本パビリオンでは、日本の伝統、感覚的な美、そしてテクノロジー系プロダクトを全面にアピールしていた。かと思うと、最後にメインイベントと言わんばかりに通された部屋が、完全にシアターとなっていて、そこで繰り広げられたのが、能とミュージカルの融合のような舞台パフォーマンスであった。しかし、これがテーマ性のない中途半端なもので、何ともいただけなかった。


「で、今日はどうするかあ。金融機関行ってみたかったけど、今日は祝日で休みみたいだし」。


金融機関巡りは最終日に取っておいたのだが、何とこの日は中秋節の祝日で、ホテルでも「月餅」が無料で配られていたのである。


「じゃ、こうしない。最初に静安寺にいって、それから買い物は?」


こうして、もうお昼まじかになって向かったのが、ホテルからタクシーでワンメーターのところにある静安寺(ジンアンスー)であった。


この静安寺というのは、街中にポツンと飛び出す仏教寺であるが、これが実は悠久の中国史を象徴するかのような寺で、その建立はなんと247年。三国時代の産物である。


入ってみると、広場の真ん中に三重塔がたっており、何故か皆これにむかってコインを投げている。おそらく投げたコインがこの中に入ると幸運をもたらすことになっているのだろう。


「すごいな、これ。まるでコインの雨だ。お金を皆で投げ合うってのは、しかし何とも行儀が悪くないか?」


しかし、ふとみると、既に友人は腕をまくって、振りかぶってコインを投げ始めている。


そして次の瞬間、自分の足下にも、コロコロと銀色のコインが転がって来た。手に取ってみると、Yi Yuan。中国人民銀行1元。と書いてある。1元硬貨だ。大きさは、1ユーロコインよりも一回りだけ大きい。


「よっし」。


こっちは野球部で背番号「1」をつけて投げていたんだ。これぐらい、軽い、軽い。それっ。


「あ!」


上に向かって投げた筈のコインが、力を入れ過ぎたせいか、グイーっと曲がって、人混みの中へとライナー性の放物線で突っ込んで行く。そもそもコインなんて真っすぐに飛ぶ筈がない(笑)。


一瞬、誰かに当たったのではないかと焦ったが、しかしここは中国。日本だったら、人混みに硬貨がすっとんできたら、白い目で見られるのは明らかであるが、ここでは誰一人そんなこと気にする様子もない。何事もなかったかのように、線香に火をつけて広場でもお祈りをしているのである。


これに安心すると、次から次と転がってくる硬貨を拾い上げては、ひとしきりコイン投げに興じると、不思議と心が落ち着いてくるのであった。

2010年11月7日日曜日

海釣り&バービー@金沢八景

友人のお誘いを受けて、秋晴れの晴天の中、金沢八景で釣り船に乗った。

12時半発の半日コース。シロギス狙いの仕掛けで、食べきれない程の、いしもち、鯵、シロギス、を10人ぐらいで釣りあげ、陸揚げしてバーベキュー。

釣りは子供の頃から親しんだ遊びだ。釣り糸を通して手に伝わってくる「当たり」の感覚が懐かしい。自然と集中力も高まる。夢中で海に
キャスティングし続けているうちに、あっという間に半日が過ぎた。それにしても、天気も最高で、船で海に出るだけでもとても気持ちがいい。

バーベキューでは、鯵はたたき、シロギスは天ぷらに、いしもちは塩焼き、と思ったが、途中からいしもちも天ぷらにしたら、これが最高に美味しかった。いしもちは、今回初めて食べたが、身が弱めのため、天ぷらや唐揚げがあう。

今回の釣り船は、荒川屋というところのものだったが、男性女性20人ぐらいが乗船して、結構皆盛り上がって釣っていた。男性は5000円(女性は3500円)と、決して安くはないが、半日楽しむのには贅沢ないいレジャー。天気さえ良ければ最高だろう。是非またトライしてみたいアクティビティだった。




2010年10月31日日曜日

チキンブレストを使った料理

最近チキンの簡単で美味しい食べ方を発見した。これは、以前サロンdeリオで作ったことのある、キエフ風チキンカツレツ(正式名は、Viennese Style Chicken "Kiev" a la Salon de Rio(ウィーンスタイルで揚げたサロンdeリオ風のチキンキエフ)だった(笑))をもっと手抜きしたものである(笑)。上記チキンキエフ(長いのでこれでいく。本当はチキンキエフではないが)では、チキンの胸肉の真ん中に切れ目を入れて開き、塩コショウで味付けしてから中にチーズと大葉を挟み、小麦粉と卵とパン粉で衣をつけてバターを入れた油で軽く揚げたが、何もここまでする必要がない、と最近気がついた(笑)。

何をしたかというと、チーズと大葉を挟むところまでは一緒で、あとは小麦粉だけつけて、オリーブオイルを敷いたフライパンに放り込んで、冷蔵庫にあった野菜(ネギとエリンギとトマト)を一緒に入れて、蓋をして蒸し焼きに。途中でチキンをひっくり返して、少しお酒(なんでもいい。あまってた焼酎を入れた)を入れて、もう少し火にかけたら終わり。チーズが溶け出してちょっと脂っこくは見えるが、すごい簡単だし、旨い。あとチキンの油で味のついたエリンギとネギもとても美味しかった。

この日は、普通に仕事から帰って来てから、料理をはじめて、これ以外はあとはご飯を鍋炊きして(の方が圧倒的に早い)、あと味噌汁をつくったが全部で40分ぐらいだったと思う。ちなみに最近では味噌汁の出汁は必ず昆布(利尻がいい)と鰹節からとっている。面倒くさいと思われがちだが、決してそんなことはない。昆布は水からつけていれて火をつけて沸騰するまえに取り出す。そんなことが料理本には書いてあるが、そんなことは無視していい。自分は一旦取り出して、鰹節を入れて出汁をとってから、小さくきってまた戻して昆布も一緒に食べてしまっている(笑)。コツは鰹節をこさないで、箸ですくって取り出すこと。これが意外と簡単に全部とれてしまうものだ。これで時間も洗い物もぐんと減る。少しぐらい鰹節が残ったって、問題はないだろう。むしろ旨い。ちょっと話がそれてしまったが、チキンキエフの手抜き版、是非一度お試しを。

2010年10月24日日曜日

Better City, Better Life

「で、今日は何をされたんですか?」

我々は昼過ぎから夕方まで万博を見た後、タクシーを捕まえて、一旦浦西(プーシー)に位置するホテルまで帰って、シャワーを浴びてまたすぐにタクシーに飛び乗って再び黄浦江を渡って浦東(プードン)に来ていた。その日は浦東で在上海の知人や同僚4人に集まって頂いて、6人でディナーの予定があったからである。

「今日は、さっきまで万博を見てたんですよ」。

まさに予定通りの展開、というか、こういう会話が予想されること「だけ」が決定的な理由となって万博行きを決めていたのである。しかし、実際万博を見て得られたものは思いのほか大きいものとなった。

Better City, Better Life、の万博全体のスローガンのもと、中国パビリオンでは、いくつもの省の展示を回ると、「開発」と「環境」の二つのメッセージがはっきりと見え、沿海部だけでなく全中国を(クリーンに)開発(工業化)させ、生活水準を上げて行くのだ、という強い政治的メッセージを感じることとなった。となると、中国政府にとっては、まだまだたくさんいる内陸部の農村民に対して、いかに工業的な雇用を準備できるかが大きなテーマであり、そのためには、大きなポーションを占める輸出部門の成長を当面維持する必要があることから、米国を中心とした中国の通貨「元」の為替レート上昇圧力には簡単に屈しないだろう。一方、内需拡大政策も同時に推進する必要があり、そのためには徐々に賃上げも行って、中間層を広げる政策が必要だ、、、。といった話を一通りしてみたものの、「上海」を「日常」として日々経験しながら、目の前の問題に対処している方々にとっては、どちらかと言うと、次から次へと運ばれてくる中華料理の皿の方に関心が向きがちだったとしても、それははっきりいって仕方のないことである(笑)。

「こちらの暮らしの方はいかがですか?」

話しを現実的な方へ引き寄せた。そうしている間にも、いろんな皿が運ばれてくる。私はヨーロッパ料理も、中南米料理も、トルコ料理も、ロシアコーカサス料理も、もちろん日本料理も大変優れていると思っているが、中華料理が世界一だと思っている。それは世界一「うまい」からでも、世界一「すき」だからでもない。中華料理こそ、使われている食材と調理法の種類のかけ算によって出てくる料理の数が世界一豊かであるからだ。これは中国の地理的優位性と長年の歴史に因るところが大きいと思う。そのような世界一豊かな食事を中国の人は必ずといっていい程、大勢でテーブルを囲んで食べる。これは非常にいい文化だ。

「やっぱり、文化の違いをすごく感じますね」。

上海でコンサルティング会社の事務所を立ち上げているS女史が語る。

「なんて言うか、中国だと人と人との距離感がすごく違うんですよね。そしてものすごく、やはり個人主義的なんですよ。この辺は明らかに日本的文化とは異なるところで。日本企業から派遣されてくる駐在員の方も、この辺の違いに最初は面食らうでしょう」。

実はS女史は、自分の仕事上のつながりが少しだけあった方で、以前自分が関わっていた社内の企画に対して、素晴らしいご提案を持って来て頂いたのであった。しかしながら、この社内企画のオーナー部署が、S女史以外の会社を最終的に選んだため、残念ながら採用できなかったのである。しかし、自分は彼女のとてもプロフェッショナルで真摯な仕事への姿勢に大変感銘を受けて、その後も接点をつくるように努力していたのであった。それは彼女の能力やパフォーマンスが必ずや自分と自分の会社の成長に大きな効果をもたらす、と思っているからである。

自分の仕事上の信念のひとつ、というか、つねに心がけている原則として、こういうものがある。それは、自分と一緒に仕事をする全ての人がその仕事を最大限エンジョイできるようにしたい、そして最高のパフォーマンスを発揮できるようにしたい、そして自分と一緒に面白い仕事をして、それがきっかけとなって社内で大きく評価されて出世して欲しい。これは他社の人でも同じというか、むしろ他社の協力会社の人に対してよく思っていることである。過去、自分はそういう気持ちで欧州全土のあらゆる関係会社の人達と付き合いをしてきたし、その結果として、イギリスやイタリアの会社の人達と特別な関係をつくることができた。そういう人達と今でも時々会う機会があるのは大変嬉しいことだ。特にイタリアの会社の方から今では仕事の関係が殆どなくなったにも関わらず、時々連絡をもらっている。しかし、自分は決して接待を受けることはしない。前回も、最高のイタリア料理で5コースの食事を若いイタリア人のセールスマンと食べた事があったが、2人分自腹で逆にご馳走させて頂いたのだった。それは接待を受けているからその会社を贔屓していると決して思われたくない、という気持ちもあるにはあるが、どちらかと言うと、やっぱり我々のためによく仕事をしてくれていることへのお礼の気持ちの方が強い。この若いイタリア人のセールスマンとは、こうして何度もプライベートで食事をしながら(いつも必ずお決まりのイタリアンレストランだった)、お互いがどう協力し合ったら素晴らしい成果が挙げられるか、どんな事をすることが新たな価値の創出につながるのか、といった話をし、そして相手も本当にそれによく応えてくれた結果、自分たちも彼らの助けのお陰で今までにないパフォーマンスが発揮できるようになった。このS女史は、いつかそのように面白い仕事を通じてお互いWin/Winの関係をつくっていきたい、と思っている一人であることは間違いない。

「明日はどんな予定になってるのですか?」

いつもその日の予定は朝食を取りながら決めるのがこの旅のパターンになっていた訳で、もちろんこの段階ではまだ未定であったが、おそらくもう一日万博に行くだろう、という話をしていた。そしてその通り、翌日は今度はもっと早い時間から万博会場へと足を運び、前日の中国、アメリカ、に続いて今度は、インド、日本、フランス、オランダ、などを中心に丸一日か以上を歩いた。その結果、万博への各国のアプローチの違いや、日本の強み弱み、そして中国の今の状況など、非常に示唆に富んだ経験を得ることができたが、その夕食の晩の時点では、そこまでの事はまだ予想すらしていなかったのである。

2010年10月8日金曜日

シーボ。

「うーん、おかしいなあ。やっぱり通じてないよ。Expoぐらい通じると思ったんだけどなあ」。

11時を過ぎて万博行きを決め、ホテルのダイニングを飛び出してタクシーを捕まえたはよかったが、Expoが通じない。

「バンパク、バンパク!」

今度は友人が思い切って日本語でそのまま言ってみる。しかし、やはり通じない。
「やっぱりだめか」。

「うん?え?何?What?」。

「おい、何か言ってるよ、このドライバー。何言ってるのかね?」。

「うーん、ダメだ分からない。よし、こうなったら。これを言ってみよう」。

「プーミンバイ!」

「え?何それ?今何て言ったの?」。

「いや、ミンバイって、確か I understandなんだよ。それに「不」をつけて、プーミンバイ。これで I don't understandで通じてる筈だよ」。

「そうなんだ」。

そうしている間もタクシードライバーが半身で後ろを見ながら、何やらいろいろ言っているが、当然のことながら、こっちは何も分からず、自然とこのプーミンバイが連発されるようになってきた。

「プーミンバイ!」

「おい、何か急にドライバー静かになってきてないか?そのさあ「プーミンバイ」って、表現的に本当に大丈夫なのかな?ただ「分かりません」ならいいけどさあ、なんか「全く意味不明!」とかさあ、そんなニュアンスなんじゃないだろうね」。

「え、それって、何、例えばタクシーの運転手が、「どちらに行きたいんですか?次の交差点は左でいいんでしょうか?」とか言ってて、俺が「全く意味不明!」とか連発してるって状況(笑)?」

それは面白い、と2人で暫し爆笑。

「あれ、ちょっと待て。また何か言ってるよ。うん?シー?シーブ?シーボ。シーボって言ってないか?何だろう?シーボって?ん?ピョウ?シーボ?ピョウ?」

「シーボって、これのことじゃないか、ひょっとして。「世博」」。

「あ、それだ!」

ここ上海では、万博ではなく、世界博覧会を略して世博って言ってるんだ、と納得。

「そうそう!Yes, Yes!」

やっと通じたと思ったのか、タクシードライバーも「うんうん」と頷き嬉しそうな表情だ。しかし、またしても何やら言っている。そして今回もどうやら、「ピョウ」を連発しているように聞こえる。

「ピョウって、、、、まさか、あれじゃない?「票」。チケットじゃない?」

「あ、なるほど!確かに」。

でも、何だろう?チケットを持ってるかって聞いてるのかな?

「No, we don't have the tickets!」

取りあえず英語で言っておく。多分通じてはいなだろうけれども。

「あれかな、ひょっとしてチケット持っている人とそうでない人で、入り口が違うとでもいいたいのかな?あれ、ちょっと待て、何か出して来たぞ」。

「あ、これ万博のチケットだよ?持ってるんだ、このドライバー!」

「いや、ちょっとまて。これ本物って保証はないよ。やめとこうよ」。

「いくらふっかけてくるのかな」。

そういって、まずは値段を聞いてみると、どうやら160ということが分かった。160ということは、このチケットに書いてあるのと同じ数字である。

「あれ。マージンとってないよ、これ。どうする?」。

「160っていうと、いくらだ?2000円ちょっとかあ。うん、ま、ここで買ってみよう」。

そう結論が出た頃には、既に我々は黄浦江にかかる盧浦大橋を渡り終え、万博会場を上から見下ろし、そこに並ぶ300台以上の観光バスが目に入って来たころだった。

「それじゃ、チケット代含めると、全部で350か」

と言うと、友人が止めた。

「ちょっと待った。このドライバーは要領を得ないドライバーだからさ、いきなり350渡したら絶対混乱するよ。タクシー代とチケット代とで2回に分けて払おう」。

そういうと友人が身を乗り出して代金を支払いはじめた。

「For the ride, RMB 30. Yes, yes」

「Okay, RMB 320 for リャン ticket、リャン ticket、いや、リャンピョウ」

いちおう分かるところだけは、中国語を混ぜてみる友人。しかし、こうして支払うと、見事、すんなり済ますことができた。

こうして会場に到着すると、早速入場ゲートまで向かう。果たしてこのチケットが本物なのかどうか。真実の瞬間、と思いながら、電車の自動改札のようなところに通すと、ちゃんと通過することができた。

そうして中に入ってみると、最初に見えて来たのが、赤い大きな伝統建築を思わせる中国のパビリオンであった。