2010年6月22日火曜日

クミコ ー あるシャンソン歌手について

先日、東京国際フォーラムで行われた「クミコ」のコンサートに行った。クミコは、シャンソン歌手として良く知られていて、特に松本隆氏との出会いをきっかけに近年ファンが急増している。最近では、「祈り」がYUSENで総合一位にもなっている実力派の歌手だ。

前回クミコの歌を生で聞いたのは、もう7年以上前の事で、当時は、確か渋谷か恵比寿の小さなライブハウスだったと思う。歌というものをよく知らなかった当時の私は、このライブによって、歌を歌うという仕事が、限りなく創造的なものになり得るものだ、ということを初めて悟ったのであった。一流の芸術というものは、いや、それは芸術以外の何であったとしても、一流であればある程、どんな素人にもその素晴らしさが必ずや伝わるものだと思う。クミコは間違いなく、技術と長年の経験を兼ね備えた、一流の歌い手だ。

しかしながら、そのような実力や今浴びているスポットライトとは対照的に、クミコという歌手は、歌手として活動を始めてから、実に20年もの間、(興行的には)華々しい成功とは無縁に、小さなライブハウスで実に細々と歌い続けて来た経歴がある。成人してプロとして生きる道を決めてからの20年というのは、気の遠くなる程、長い時間である。その20年の間のクミコの道のりに、一体どれ程の苦労や絶望が、あるいは、そこにどれだけの希望の光や喜びがあったか、それを知ることはできない。しかし、自分の歌を聴きに来てくれるお客さまに勇気づけられ、最後はどちらかというと希望よりも、むしろ「自分には歌うことしかできない」という開き直りと覚悟で、それこそ人生を懸けて、歌い続ける毎日だったのではないかと想像する。そして自分と真剣に向き合う中で、自分が歌うべき歌を自覚し、その歌に表れた心を、ひとつひとつ丁寧に語りかけるように歌ってきたのではないだろうか。ライブハウスで聞いたクミコの歌に、鋭い創造性と迫力を感じたのは、きっとこのような背景があったためだろう、と私は考えるのである。

さて、そんな数年前のライブハウスでの経験を今回再び体験できるのか、といった期待をうっすらと持ちながら足を運んでみると、当たり前の事ながら、手を伸ばせば届きそうな小さなステージでピアノとアコーディオンだけを伴奏に歌っていたライブハウスと、東京国際フォーラムでのコンサートは、全く持って別のフォーマットのものであった。それはフィレンツェの路地裏の小さな食堂のコックがエノテカピンキオーリの厨房を仕切るシェフになったようなものであって、同じアウトプットを期待することなどできる筈がない。いや、むしろ全く同じ料理を出してはいけないのである。しかし場の設定が大きく変わるからこそ、そこで人がどう変わるのか、そして何が変わらないのか、そこにその本人の生き方があらわれるものだろう。

そういう意味で、今回のコンサートでは、まさに設定が変わっても、本質は何一つ変わらないクミコの歌手としての地に足のついた生き方が、一貫して見られるパフォーマンスだった。むしろ、以前よりも多くのオーディエンスがいることを踏まえて、クミコとして歌わなければならないことを増幅させたのではないだろうか。それが、「反戦」の思いである。

「一本の鉛筆」

もちろん、今回のコンサートは「INORI〜祈り〜」がテーマであって、これ自体が佐々木禎子さんが主人公の平和反戦の歌であることから、反戦の歌を基調としたプログラムとなってもおかしくはないだろう。しかし、クミコにとっては「祈り」という歌が先に来て、それから反戦の歌を歌う歌手になったのではない。その逆だ。

「INORI〜祈り〜」

クミコは、これまで人の愛を歌ってきた歌手である。それを考えると、その対局にある戦争への批判に結びつかないことはない。しかし、私には売れっ子になったクミコが、個人の愛から極めて政治的な戦争を相手にするようになったことに、少しばかりの不協和音を感じなくはなかった。いくら聴衆が増えたと言っても、何もこの平和ぼけした不況下の日本において、反戦を歌わなくてもいいのではないか、そういう思いもあった。しかし、どちらかといえば、それよりも、クミコの歌手としての時間とエネルギーの使い方、言ってみれば、投資効率が悪くなるのではないか、という感覚だったと思う。クミコは個人の愛を歌うことによって、それを聞く人に大きな感動を与えることができる。しかし、クミコが反戦の歌を歌っても、そんな事では戦争はなくなることはない。ほんの一瞬、それが頭をよぎった。

そういうことを感じながらコンサートは後半に突入。後半は、「わが麗しき恋物語」、「愛の讃歌」、などおなじみのシャンソンのナンバーが続く。そして、私と一緒にいってくれた人が、迫力があってよかった、と言ったのも後半のこの歌だった。

「百万本のバラ」

そして最後は「ラストダンスは私に」をUpbeatに、そして女性の多面的な顔を表現しながら歌って、コンサートは終了、そして、アンコールに。そこで最後に出て来たのが、再び反戦歌の「さとうきび畑」であった。

http://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM

「ざわわ」で始まるこの歌は、本当に芸術的で素晴らしい作品だ。さとうきび畑以外何もない平和な沖縄の土地に、なぜ武器弾薬が降り注ぎ殺戮が繰り広げられなくてはならなかったのか。「戦争」のとてつもない愚かさ、そしてどうしようもない悲しみ。これが本当に鋭く突き刺さる。私はクミコがこの歌を最後に歌うのを聞きながら、さっき思ったことが間違いだったと気がついた。そして、このような反戦の歌をクミコが歌うことによって戦争をなくすことはできない、ということを一番よく知っているのは実はクミコ本人ではないか、と思った。それを知ってなお、そこに身を投じて反戦の歌を歌う。できないと分かっていて、それを行い続ける人の思いの強さ、誇りは、できる事だけをやる人、あるいはできると分かっているからやる人のそれを、遥かに上回るだろう。

「ひょっとしたら、本当にこういうことで戦争がなくなるのかも知れない」。最後にそう心の中で思うと同時に、名声を得てなお、自分を見失わないクミコという歌手に、背筋の伸びる思いで、会場を後にしたのであった。

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