2010年10月31日日曜日

チキンブレストを使った料理

最近チキンの簡単で美味しい食べ方を発見した。これは、以前サロンdeリオで作ったことのある、キエフ風チキンカツレツ(正式名は、Viennese Style Chicken "Kiev" a la Salon de Rio(ウィーンスタイルで揚げたサロンdeリオ風のチキンキエフ)だった(笑))をもっと手抜きしたものである(笑)。上記チキンキエフ(長いのでこれでいく。本当はチキンキエフではないが)では、チキンの胸肉の真ん中に切れ目を入れて開き、塩コショウで味付けしてから中にチーズと大葉を挟み、小麦粉と卵とパン粉で衣をつけてバターを入れた油で軽く揚げたが、何もここまでする必要がない、と最近気がついた(笑)。

何をしたかというと、チーズと大葉を挟むところまでは一緒で、あとは小麦粉だけつけて、オリーブオイルを敷いたフライパンに放り込んで、冷蔵庫にあった野菜(ネギとエリンギとトマト)を一緒に入れて、蓋をして蒸し焼きに。途中でチキンをひっくり返して、少しお酒(なんでもいい。あまってた焼酎を入れた)を入れて、もう少し火にかけたら終わり。チーズが溶け出してちょっと脂っこくは見えるが、すごい簡単だし、旨い。あとチキンの油で味のついたエリンギとネギもとても美味しかった。

この日は、普通に仕事から帰って来てから、料理をはじめて、これ以外はあとはご飯を鍋炊きして(の方が圧倒的に早い)、あと味噌汁をつくったが全部で40分ぐらいだったと思う。ちなみに最近では味噌汁の出汁は必ず昆布(利尻がいい)と鰹節からとっている。面倒くさいと思われがちだが、決してそんなことはない。昆布は水からつけていれて火をつけて沸騰するまえに取り出す。そんなことが料理本には書いてあるが、そんなことは無視していい。自分は一旦取り出して、鰹節を入れて出汁をとってから、小さくきってまた戻して昆布も一緒に食べてしまっている(笑)。コツは鰹節をこさないで、箸ですくって取り出すこと。これが意外と簡単に全部とれてしまうものだ。これで時間も洗い物もぐんと減る。少しぐらい鰹節が残ったって、問題はないだろう。むしろ旨い。ちょっと話がそれてしまったが、チキンキエフの手抜き版、是非一度お試しを。

2010年10月24日日曜日

Better City, Better Life

「で、今日は何をされたんですか?」

我々は昼過ぎから夕方まで万博を見た後、タクシーを捕まえて、一旦浦西(プーシー)に位置するホテルまで帰って、シャワーを浴びてまたすぐにタクシーに飛び乗って再び黄浦江を渡って浦東(プードン)に来ていた。その日は浦東で在上海の知人や同僚4人に集まって頂いて、6人でディナーの予定があったからである。

「今日は、さっきまで万博を見てたんですよ」。

まさに予定通りの展開、というか、こういう会話が予想されること「だけ」が決定的な理由となって万博行きを決めていたのである。しかし、実際万博を見て得られたものは思いのほか大きいものとなった。

Better City, Better Life、の万博全体のスローガンのもと、中国パビリオンでは、いくつもの省の展示を回ると、「開発」と「環境」の二つのメッセージがはっきりと見え、沿海部だけでなく全中国を(クリーンに)開発(工業化)させ、生活水準を上げて行くのだ、という強い政治的メッセージを感じることとなった。となると、中国政府にとっては、まだまだたくさんいる内陸部の農村民に対して、いかに工業的な雇用を準備できるかが大きなテーマであり、そのためには、大きなポーションを占める輸出部門の成長を当面維持する必要があることから、米国を中心とした中国の通貨「元」の為替レート上昇圧力には簡単に屈しないだろう。一方、内需拡大政策も同時に推進する必要があり、そのためには徐々に賃上げも行って、中間層を広げる政策が必要だ、、、。といった話を一通りしてみたものの、「上海」を「日常」として日々経験しながら、目の前の問題に対処している方々にとっては、どちらかと言うと、次から次へと運ばれてくる中華料理の皿の方に関心が向きがちだったとしても、それははっきりいって仕方のないことである(笑)。

「こちらの暮らしの方はいかがですか?」

話しを現実的な方へ引き寄せた。そうしている間にも、いろんな皿が運ばれてくる。私はヨーロッパ料理も、中南米料理も、トルコ料理も、ロシアコーカサス料理も、もちろん日本料理も大変優れていると思っているが、中華料理が世界一だと思っている。それは世界一「うまい」からでも、世界一「すき」だからでもない。中華料理こそ、使われている食材と調理法の種類のかけ算によって出てくる料理の数が世界一豊かであるからだ。これは中国の地理的優位性と長年の歴史に因るところが大きいと思う。そのような世界一豊かな食事を中国の人は必ずといっていい程、大勢でテーブルを囲んで食べる。これは非常にいい文化だ。

「やっぱり、文化の違いをすごく感じますね」。

上海でコンサルティング会社の事務所を立ち上げているS女史が語る。

「なんて言うか、中国だと人と人との距離感がすごく違うんですよね。そしてものすごく、やはり個人主義的なんですよ。この辺は明らかに日本的文化とは異なるところで。日本企業から派遣されてくる駐在員の方も、この辺の違いに最初は面食らうでしょう」。

実はS女史は、自分の仕事上のつながりが少しだけあった方で、以前自分が関わっていた社内の企画に対して、素晴らしいご提案を持って来て頂いたのであった。しかしながら、この社内企画のオーナー部署が、S女史以外の会社を最終的に選んだため、残念ながら採用できなかったのである。しかし、自分は彼女のとてもプロフェッショナルで真摯な仕事への姿勢に大変感銘を受けて、その後も接点をつくるように努力していたのであった。それは彼女の能力やパフォーマンスが必ずや自分と自分の会社の成長に大きな効果をもたらす、と思っているからである。

自分の仕事上の信念のひとつ、というか、つねに心がけている原則として、こういうものがある。それは、自分と一緒に仕事をする全ての人がその仕事を最大限エンジョイできるようにしたい、そして最高のパフォーマンスを発揮できるようにしたい、そして自分と一緒に面白い仕事をして、それがきっかけとなって社内で大きく評価されて出世して欲しい。これは他社の人でも同じというか、むしろ他社の協力会社の人に対してよく思っていることである。過去、自分はそういう気持ちで欧州全土のあらゆる関係会社の人達と付き合いをしてきたし、その結果として、イギリスやイタリアの会社の人達と特別な関係をつくることができた。そういう人達と今でも時々会う機会があるのは大変嬉しいことだ。特にイタリアの会社の方から今では仕事の関係が殆どなくなったにも関わらず、時々連絡をもらっている。しかし、自分は決して接待を受けることはしない。前回も、最高のイタリア料理で5コースの食事を若いイタリア人のセールスマンと食べた事があったが、2人分自腹で逆にご馳走させて頂いたのだった。それは接待を受けているからその会社を贔屓していると決して思われたくない、という気持ちもあるにはあるが、どちらかと言うと、やっぱり我々のためによく仕事をしてくれていることへのお礼の気持ちの方が強い。この若いイタリア人のセールスマンとは、こうして何度もプライベートで食事をしながら(いつも必ずお決まりのイタリアンレストランだった)、お互いがどう協力し合ったら素晴らしい成果が挙げられるか、どんな事をすることが新たな価値の創出につながるのか、といった話をし、そして相手も本当にそれによく応えてくれた結果、自分たちも彼らの助けのお陰で今までにないパフォーマンスが発揮できるようになった。このS女史は、いつかそのように面白い仕事を通じてお互いWin/Winの関係をつくっていきたい、と思っている一人であることは間違いない。

「明日はどんな予定になってるのですか?」

いつもその日の予定は朝食を取りながら決めるのがこの旅のパターンになっていた訳で、もちろんこの段階ではまだ未定であったが、おそらくもう一日万博に行くだろう、という話をしていた。そしてその通り、翌日は今度はもっと早い時間から万博会場へと足を運び、前日の中国、アメリカ、に続いて今度は、インド、日本、フランス、オランダ、などを中心に丸一日か以上を歩いた。その結果、万博への各国のアプローチの違いや、日本の強み弱み、そして中国の今の状況など、非常に示唆に富んだ経験を得ることができたが、その夕食の晩の時点では、そこまでの事はまだ予想すらしていなかったのである。

2010年10月8日金曜日

シーボ。

「うーん、おかしいなあ。やっぱり通じてないよ。Expoぐらい通じると思ったんだけどなあ」。

11時を過ぎて万博行きを決め、ホテルのダイニングを飛び出してタクシーを捕まえたはよかったが、Expoが通じない。

「バンパク、バンパク!」

今度は友人が思い切って日本語でそのまま言ってみる。しかし、やはり通じない。
「やっぱりだめか」。

「うん?え?何?What?」。

「おい、何か言ってるよ、このドライバー。何言ってるのかね?」。

「うーん、ダメだ分からない。よし、こうなったら。これを言ってみよう」。

「プーミンバイ!」

「え?何それ?今何て言ったの?」。

「いや、ミンバイって、確か I understandなんだよ。それに「不」をつけて、プーミンバイ。これで I don't understandで通じてる筈だよ」。

「そうなんだ」。

そうしている間もタクシードライバーが半身で後ろを見ながら、何やらいろいろ言っているが、当然のことながら、こっちは何も分からず、自然とこのプーミンバイが連発されるようになってきた。

「プーミンバイ!」

「おい、何か急にドライバー静かになってきてないか?そのさあ「プーミンバイ」って、表現的に本当に大丈夫なのかな?ただ「分かりません」ならいいけどさあ、なんか「全く意味不明!」とかさあ、そんなニュアンスなんじゃないだろうね」。

「え、それって、何、例えばタクシーの運転手が、「どちらに行きたいんですか?次の交差点は左でいいんでしょうか?」とか言ってて、俺が「全く意味不明!」とか連発してるって状況(笑)?」

それは面白い、と2人で暫し爆笑。

「あれ、ちょっと待て。また何か言ってるよ。うん?シー?シーブ?シーボ。シーボって言ってないか?何だろう?シーボって?ん?ピョウ?シーボ?ピョウ?」

「シーボって、これのことじゃないか、ひょっとして。「世博」」。

「あ、それだ!」

ここ上海では、万博ではなく、世界博覧会を略して世博って言ってるんだ、と納得。

「そうそう!Yes, Yes!」

やっと通じたと思ったのか、タクシードライバーも「うんうん」と頷き嬉しそうな表情だ。しかし、またしても何やら言っている。そして今回もどうやら、「ピョウ」を連発しているように聞こえる。

「ピョウって、、、、まさか、あれじゃない?「票」。チケットじゃない?」

「あ、なるほど!確かに」。

でも、何だろう?チケットを持ってるかって聞いてるのかな?

「No, we don't have the tickets!」

取りあえず英語で言っておく。多分通じてはいなだろうけれども。

「あれかな、ひょっとしてチケット持っている人とそうでない人で、入り口が違うとでもいいたいのかな?あれ、ちょっと待て、何か出して来たぞ」。

「あ、これ万博のチケットだよ?持ってるんだ、このドライバー!」

「いや、ちょっとまて。これ本物って保証はないよ。やめとこうよ」。

「いくらふっかけてくるのかな」。

そういって、まずは値段を聞いてみると、どうやら160ということが分かった。160ということは、このチケットに書いてあるのと同じ数字である。

「あれ。マージンとってないよ、これ。どうする?」。

「160っていうと、いくらだ?2000円ちょっとかあ。うん、ま、ここで買ってみよう」。

そう結論が出た頃には、既に我々は黄浦江にかかる盧浦大橋を渡り終え、万博会場を上から見下ろし、そこに並ぶ300台以上の観光バスが目に入って来たころだった。

「それじゃ、チケット代含めると、全部で350か」

と言うと、友人が止めた。

「ちょっと待った。このドライバーは要領を得ないドライバーだからさ、いきなり350渡したら絶対混乱するよ。タクシー代とチケット代とで2回に分けて払おう」。

そういうと友人が身を乗り出して代金を支払いはじめた。

「For the ride, RMB 30. Yes, yes」

「Okay, RMB 320 for リャン ticket、リャン ticket、いや、リャンピョウ」

いちおう分かるところだけは、中国語を混ぜてみる友人。しかし、こうして支払うと、見事、すんなり済ますことができた。

こうして会場に到着すると、早速入場ゲートまで向かう。果たしてこのチケットが本物なのかどうか。真実の瞬間、と思いながら、電車の自動改札のようなところに通すと、ちゃんと通過することができた。

そうして中に入ってみると、最初に見えて来たのが、赤い大きな伝統建築を思わせる中国のパビリオンであった。

2010年10月4日月曜日

そして上海万博へ。


「さて、今日は何しようか」。

例によって朝食のコーヒーも二杯目に突入した頃、漸くこの日の予定について話すことになったのは、前日の発見について一通りの解釈を終えたあとであった。

「やっぱり中国人のというか、上海人のお金に対する信仰には思った以上のものがある」。

そう友人が言いながら、前日の預園での出来事を振り返る。預園は、1559年に四川省の役人によって造園が開始された2万平米にもなる広大な庭園で、明・清時代の江南式建築を現代に伝える見事な庭園だ。我々は、外灘周辺を歩いた後、タクシーに乗り込んで、このいつ行っても観光客でごった返している有名な観光地へ飛び込んでいったのであった。

「だってさあ、あの沈香閣での線香、皆黄色のやつを選んでたんだぜ。ピンクの方は俺以外には、殆ど選んでる人を見なかったよ」。

確かに黄色い線香で拝んでいる人を多く見かけた。沈香閣は預園エリアにある清代に建てられた廟だ。ここには、2種類の線香(といっても、巨大なものであるが)がおいてあり、購入できるようになっている。参拝者は、これを購入して、火をつけてお祈りをする習慣があるようだが、ピンクの線香は幸運一般、黄色い線香は、蓄財の意味がある、との説明があった。

「これだけお金儲けに皆がどん欲というのは、経済発展にとっては、いいに違いない。やっぱり中国は買いだよ」。

相変わらず続く、この中国が売りか買いかの会話。しかし、その後本当に大量に買い込むこととなったのは、預園の敷地内にある有名なティーハウス、湖心亭で飲んだのがあまりに香りがよく感心した、中国茶であった。

湖心亭は、預園の敷地の池の真ん中に浮かぶティーハウスで、エリザベス女王も訪れた事のあるところ。ここでヨーロッパ人2人を連れて観光していた日本人女性が声をかけてくれて教えて頂いたお茶が非常に美味しかった。

「しかし、あのお茶を教えてくれた人は、万博に3日間も通うって言ってたね。すごいよね」。

我々はこの時期に上海に行く事にしていたものの、万博に行く確実な予定は特段なく、通常なら万博チケット付きのツアーで日本から行く人も多い筈だったが、我々は当然ながらチケットはなし。もちろん、出発前に「上海にいくんだ」「あ、万博いくの?」という会話は少なく数えても、10回ぐらいはしていたと思う。「いや、多分いかない」という反応に「え?いかないの?」と皆一様に驚くものの、「でも、丸一日つぶして万博行きたいと思う?」と聞き直すと、「そうは必ずしも思わないけど、話のネタにはなるよね」、という返答がよく返ってきたものだった。ま、その程度の思いしかなかった我々からすると、三日間もかけて万博を回ろうというこの観光客がにわかに信じがたい気持ちになっていたのである。

「今日は何しようかね?」

「その前にさあ、あと残り3日間の予定の全体イメージを考えようよ」。

「え、もうあと3日?」

「だって、昨日は外灘と預園と新天地にいって、今日なわけでしょう?そしたらあと3日だよ」。

「そうかあ、もうあと3日かあ」。

全体で4日間しかない割には、あと3日というのがえらく短く感じる。

「そうだねえ。上海は昨日一通り見た感じがするしねえ。この後は、やっぱり一日は上海の郊外の蘇州あたりにでも足を伸ばすとして、一日はやっぱり金融機関を訪ねていろいろ調べてみたい。となると残りはあと一日だなあ」。

「一日はお土産を探すのにちょっとだけ買い物がしたいなあ」。

「そうなってくると、万博は、、、、やっぱり無理かあ。とりあえず、今日は郊外にいかないか?」。

「そうだなあ。でも郊外に出るなら、朝早く行った方がいいんじゃないか。今日はもう、、、11時だよ」。

「となると、浦東の金融センターに行って、金融機関巡りでもするか。ディナーも今日は浦東地区の予定だしね」。

その日の晩は正味4日間の上海滞在の中で、唯一あらかじめ予定が決まっていた晩で、上海に居る同僚や社外のコンサルタントの知人に集まって頂いて一緒に中華の円卓を囲むこととなっていたのである。

「やっぱりさあ、今日、これから万博いかない?」。

突然、友人が言い出した。

「だってさあ、今日の晩は皆で食事だろ。今日は何したの?て会話に絶対なるしさあ、その時に銀行行ってましたじゃ、つまらないよ」。

「そうだね。今日はこれから万博へ行こう。よし、今すぐに出よう」。

こうして、上海滞在の二日目の昼から万博へ行く事が決まると、すぐにモーラービラホテルのダイニングを飛び出し、陜西南路(シャンシーナンルー)の通りに出ると、タイミングよく延安中路を右折して曲がって来たバンタイプのタクシーを捕まえることに成功した。

「To Expo, please. The World Expo!」。

タクシーのドアを締めるや否や、すぐさまタクシードライバーに告げたのであった。