2010年12月17日金曜日

ドラッカーの「マネジメント」。

この本は、素晴らしい。


今、座右の書は何かと聞かれたら、迷わずこれだと答えるだろう。


ドラッカーは、効果的なマネジメントが実践できるマネージャーの存在こそが社会の発展の原動力になる、と考えている。自分も本当にその通りだと思う。有能なマネージャーになるには、ドラッカーの「マネジメント」を読むだけでは、勿論不十分だが、しかしドラッカーを理解して、すぐれたマネジメントを実践できるマネージャーが増えれば、日本企業の競争力も、役所も、NPOも、教育機関も、医療法人も、間違いなくパフォーマンスレベルが格段に向上するだろう。そして経済的富の余剰が増し、行政サービスもよくなり、文化芸術も活性化し、社会全体の暮らしの「豊かさ」も必然的に増すに違いない(だからといって、リニアに「幸福度」が増すかどうかは、また別の問題ではある)。


そう思って、最近自分の同僚にも「ドラッカーを読む会」やらない?と声かけをしてみたが、いまいち反応がよろしくなく(英文で800ページ以上もある、というのが原因のひとつかも知れない)、仕方なく現在はひとりで(主に湯につかりながら(笑))読んでいるが、何とかこの本のエッセンスをひとりでも多くの人と共有したいものだ、と思っている。


ドラッカーの「マネジメント」は、もちろんあの「もしドラ」に出てくる本である。もともと30年以上も前の1973年に書かれた本であるが、「もしドラ」のお陰で、いまだに本屋でも平積みのベストセラーだ。これはすごいことである。


しかし自分が「マネジメント」を手にしたのは、「もしドラ」が出る前で、今から2年ぐらい前の事だと思う。その頃、自分は海外のとある会社の経営管理の仕事を任されていた。ヨーロッパ人の社長が経営するこの会社は、残念ながら業績が右肩下がり。何とか経営を立て直さなければならなかったが、そのためには、この社長をモチベートし、具体的な助言を行い、意味のある行動を起こさせ、成果を上げさせなければならなかった。しかし、これは容易なことではない。これをするためには、大前提として「自分がこの会社の社長だったら、何をするか?」が明確に見えていなければならないし、そのためには、そもそも経営者の仕事とは何なのか、をよく理解する必要があった。


そこで何か参考になる本はないものか、と丸善にいったら、ダイヤモンド社から赤いカバーのドラッカー全集のようなシリーズがずらりと並んでいた。タイトルを見て行くと目に留まったのが、「経営者の条件」だった。早速これを読んでみたところ、これが素晴らしく目から鱗でえらく感動したのである。それでこんないい本書く人なら、原典にあたってみよう、ということで、"Management: Tasks, Responsibilities, Practices"を購入したのであった。


これらを家で読みながら、経営管理の仕事を日々していたのだが、ドラッカーを読んで自信をつけた自分は、まるで自分が社長になったつもりでやってたので、本当の社長からしてみると、かなりうざかったと思う(笑)。


今では経営管理の仕事から離れてしまったが、それでも日々ドラッカーを読むのは自分にとっては、大いなる楽しみのひとつになっている。



2010年12月13日月曜日

中国といえば、お茶。

「もう最後なんだから、こっちのお金は全部使っちゃおう」。


早朝に発つ帰国便に乗るため、我々は朝5時45分にホテルでタクシーを予約し、そこから約30分で上海国際空港に着いていたから、その時点でまだ6時30分を過ぎていなかった筈だが、免税店の前にあるカフェで朝食を取ろうとする我々のテーブルには、点心の乗ったせいろに加えて、その脇には、青島ビールの瓶がちょこんと立っていた。


その日の朝は、前日までのうだるような日差しと暑さが嘘のように、空はどんよりと暗く、気温も一気に下がって、しとしとと降る雨が、ホテルの周りの雰囲気を一晩でがらりと変えたかのようだ。


「なんか、いいタイミングというか、よかったね、今までずっと天気がよくて」。


そう言いながら、睡眠不足で食欲が進まない自分は、カフェラテをちびりちびりと飲んでいた。朝カフェラテを飲むのが好きになったのは、多分2002年頃からだと思う。パリに行った時に、パリジャンが朝食にパンオショコラを食べながら、カフェラテを大きなカップで美味しそうに飲んでいたのをまねしたのだ。それからというもの、「朝の飲み物といえば、カフェラテ」。これが自分の定番であった。しかし考えてみると、この空港での「朝ラテ」を最後に、自分はカフェラテどころか、殆どコーヒーを飲まなくなってしまった。この旅を機に、コーヒー党から、お茶党へと乗り換えたのである。その理由は前日に買い込んだ数々の中国茶にあった。


前日、ひとしきり静安寺でコイン投げに興じた我々は、意外とあっさりと静安寺を後にし、すぐとなりにあるデパートに行くと、夕方までの半日をこのデパートで、もう少し厳密に言えば、地下一階の食品売場で過ごしたのであるが、ここで大量の中国茶を買い込んだのだ。


中国と言えば、何と言っても、世界のお茶の総本山だ。それは各国でお茶が何と言われているかを知れば自ずとそれが分かるだろう。ヨーロッパで茶飲み文化で知られる英国のteaもロシア語のчай(チャイ)も、語源は、中国の「茶」である。ついでに、トルコ語でもペルシア語でもスワヒリ語でも、音で言えば、チャイというそうだ。ちなみに紅茶の世界では、インドも有名だ。しかし、これはインドを植民地としていたイギリスが中国からお茶を持ち帰ってインドで栽培を始めたのが起源である。とにかくお茶といえば、中国、中国と言えば、お茶なのである。


もちろん中国には様々な種類のお茶がある。中国ではお茶は発酵度に応じて分類され、一般に、緑茶、青茶、紅茶、黒茶の4種類がある(白茶、黄茶、もある)。周知の通り、日本で生産されているものは殆ど全て「緑茶」だ。日本でのお茶の種類は、栽培方法などによって分類しているもので、中国の分類で言えば、全て緑茶の範囲である。これだけでも、中国のお茶の種類がどれだけ豊富か、想像がつくだろう。


今回私は、緑茶は日本にもあるのと、紅茶は、先日イギリスに行った同僚から私の好きなフフォートナムメイソンのものをたくさん頂いていたので、青茶と黒茶を買い込んで来た。青茶は、いわゆる鳥龍茶である。このカテゴリーでは、鉄観音が有名だ。黒茶は、もっとも発酵が進んだもので、プーアル茶がこれに当たる。今回一番たくさんの量を買ったのは、ジャスミン茶であるが、ジャスミン茶は香り付けをしたバリエーションであって、分類としては青茶に入る。


こうして持ち帰ったお茶を毎日飲んでいるうちに、気がついたらお茶ばかり飲むようになっていた。しかし、もちろんこれはいい事である。というのは、コーヒーの効能というものは、眠気覚まし以外には聞いた事がないが、お茶はもともと「薬」として飲まれていただけあって、ダイエットから解毒からビタミンから美肌効果まで、とにかく様々な効能があるからである。


「しかし、やっぱり中国は勢いがあったよね。ニュースも前向きなのばかりだ」。


前日の買い物の後、歩き疲れた我々はホテルの目の前にある足裏マッサージにいったのだが、あまりに疲れていたので、1時間のマッサージが終わった後も、そこのリクライニングチェアから起き上がることなく、さらに1時間ほどずっとテレビを見ていたのである(よく追い出されなかったものである)。この時に見たニュースが衛星の打ち上げや万博など、とにかく明るいニュースばかりだった。ニュースの後は、中国のドラマを見ていたが、「上海上海」という近代を舞台にしたこのドラマでは、なんとあのサッスーンが登場していて大変面白かった。


「で、結局中国のこれからは、一体どうなるんだろうか?」


我々はすでに飛行機に乗り込んでいた。窓の外には、強く降りしきる雨が見える。


(遅れずにちゃんと飛び立つだろうか?)


内心そう思って心配したのも束の間、定刻通りに飛行機は離陸した。


「実は、さっきまで少し中国の今とこれからを考えて整理してみた。まず中国の高い成長率の理由は工業化だ。農村からの労働力が都市部で第二次産業に従事しているのだから、いやでも成長率は上がる。沿海部でつくった製品を輸出して得た利潤で国庫も潤い、それが公共投資にまわって、インフラを発達させながら、不動産業が潤って来た。ところが、まだまだ農村部には大量の人口を抱えていて、貧富の差が広がって来ている。政府としては、もっともっとこれらの農民に都市部で職を準備しないといけないだろう。そう考えると、まだまだ輸出に依存するモデルを放棄できない。となれば、元はもう少し安いままでなくてはならない筈だ。まず中国政府は元の切り上げ圧力には、この点からそう簡単には応じないだろう」。


「なるほど」。


「でも、一方で、同時に内需拡大も推進する必要がある。これは富の分配率を見直すことに他ならない。要は、賃金上昇が必要だ、ということだ」。




そこまで言うと朝食が運ばれて来た。さっきあんなに食べたが、最後の中華料理だと思って、中華風焼きそばを食べる。これが結構旨い。しかし、通路を挟んで隣のアメリカ人はどうやら中華には興味がないようだ。


"Oh, no thank you"


というと、リクライニングシートも戻さず、もちこんだBurger Kingの袋からむしゃむしゃ食べ始めた。ついに食事らしい食事がとれた、とでも言い出さんばかりの雰囲気である。


「でもさあ、日本の高度成長って、1950年ぐらいからだとすると、約30年だろう?それ以上長い間高成長が続くのも難しいよね。中国って、もう何年高成長が続いているんだろうか?鄧小平の時代からだとすると、1980年代で、もう約30年だ。その意味では、これからは、未知の領域に入って行く、とも言えるのだろうか」。


「これからの中国政府の経済政策の舵取りは間違いなく簡単ではないよね。とにかく不動産バブルをはじけさせないように、マネーの量をコントロールしなくてはいけない。しかしホットマネーは常に外からも入ってくる。量的緩和をしている昨今ではなおさらだ。しかし一方で、景気に水をかけることもできない。賃金上昇となると輸出企業の競争力が低下したり、企業全体の収益率も減ってくるかも知れないけど、同時に内需が増えてくれば、新たな経済運営が可能になってくる」。


「しかし、とにかく我々が見た範囲だけで言うと、全体的には間違いなく買いだ。特に上海の人は当たりが強く、国際的にも物怖じしないキャラクターがある。国民性だけでいうと、たくましく国際社会で生きて行く力があるように思うよね」。


朝っぱらから、偉そうなことを話していると、CAが早々と食事を片付け始めた。


"Ladies and gentlemen, we will be going through some turbulence in about 10 minutes, so please remain seated and fasten your seat belt."


機内アナウンスによると、どうやら揺れるらしい。すると、機体が小刻みに上下運動を始めだした。その時である。どーんっと機体が大きく沈むと、機内からは、「きゃー」という大きな悲鳴が湧いた。


(なんてこった。これはボーイング747だぞ)。


欧州域内の小型飛行機なら何度も怖い思いをしたことがあるが、ジャンボ機でこれ程揺れたことは一度もない。


"Ladies and gentlemen, please fasten your seat belt."


機内アナスンスが繰り返される。


さっきの大きな揺れで緩んだシートベルトを締め直そうとベルトを引っ張った。ところがいくら引っ張っても一向に締まらない。


「あれっ?おかしいな」。


するするとベルトを引っ張ると、そのままなんと、端っこが出て来てしまった。ベルトが根元から外れてしまっているのだ。


「おいおい、これはまずい!」


次にあんな揺れがきたら、天井に頭を打ってしまう!そう思うと、焦って、CAを呼んだ。しかし、飛行機が下降を始めたため、CAもすっかり自分の席について自分のベルトを肩からかけはじめている。自分は、取れてしまったシートベルトを見せながら、CAを再度呼んでみた。とにかく他の空いている席を探してもらって、そっちに早く移らねば!


"Look, my seatbelt has come off!!"


しかし、シートベルトをし終わった今、これから席をたって面倒を見てくれそうな気配が全くない。そのCAからは、こう返って来た。


"Hold on to your arm rest!"
(手すりにつかまってください)。


いや、それは無理だ。いくらなんでも、あんな揺れがきたら、いくら掴まってたって、それは無理だろう!さっきまで隣でBurger Kingのポテトを食べてたアメリカ人も、これには驚いている様子だ。


するとまた機体が揺れ始めた。着陸態勢に入って、高度が下がって来たため、成田上空の厚い雲を通過しているのだ。


まずい。しかしシートベルトの端を見てみると、フック状になっている。しかし折れている訳ではない。(一体どこから外れたんだろう?)シートの左側をめくってみると、鉄の棒が現れ、隣の席のベルトもここから出ている。これだ。焦りながら何度もフックをかけようとする。


「カチャ」。


はまった!よし。すると間もなく、成田空港の滑走路に無事着陸を果たした。成田も上海に違わず、強い雨が降っていた。


(上海編、終わり)

2010年12月9日木曜日

静安寺(ジンアンスー)

上海の最終日にあたる4日目は、その前々日がそうだったように意気揚々と早朝のジョギングから開始する程の元気は残っていなかった。


前日は二日目の万博に乗り込み、その前の日に中国、米国という現代の覇権を争う2大国のパビリオンを見たのに続き、朝早くから炎天下を精力的に歩き回った。その結果、インド→タジキスタン→キルギスタン→日本→フランス→オランダ→クロアチア→スロベニア→リトアニア→アルゼンチン、と前日を遥かに上回る成果(笑)を上げられたのである。


「しかし、これだけ見ると、やっぱ万博って、面白いよね。国によって、力の入れ方とか全然違うし」。


例によって朝食はゆったりモード。最終日の今日は食べ始めで既に9時をまわっている。


「しかし、あれだね。ヨーロッパのと比べると、日本は本当真面目だよね」。


日本パビリオンでは、建物のつくり、展示物のつくり具合、出し物の種類と数、等で他のパビロンを圧倒しており、「すごい」というよりも、「真面目だなあ」という感想が第一に湧いてきた。国の威信をかけて真面目にパビリオンを出す。そんなことは当たり前ではないか?と思われるかも知れないが、国によっては、完全に手抜きした様子がありありと分かるのである。


「やっぱりヨーロッパの国は、こんなんじゃ勝負しないんだな。余裕だよ。余裕」。


数日前に外難地区でヨーロッパがアヘン貿易で中国をこじ開け、とてつもないビル群を建てて中国を支配した様子をまざまざと見せられた後だけに、思わずヨーロッパの底力に怖れをなしてみせる。


「それにしても、日本のあの舞台は頂けなかったなあ」。


日本パビリオンでは、日本の伝統、感覚的な美、そしてテクノロジー系プロダクトを全面にアピールしていた。かと思うと、最後にメインイベントと言わんばかりに通された部屋が、完全にシアターとなっていて、そこで繰り広げられたのが、能とミュージカルの融合のような舞台パフォーマンスであった。しかし、これがテーマ性のない中途半端なもので、何ともいただけなかった。


「で、今日はどうするかあ。金融機関行ってみたかったけど、今日は祝日で休みみたいだし」。


金融機関巡りは最終日に取っておいたのだが、何とこの日は中秋節の祝日で、ホテルでも「月餅」が無料で配られていたのである。


「じゃ、こうしない。最初に静安寺にいって、それから買い物は?」


こうして、もうお昼まじかになって向かったのが、ホテルからタクシーでワンメーターのところにある静安寺(ジンアンスー)であった。


この静安寺というのは、街中にポツンと飛び出す仏教寺であるが、これが実は悠久の中国史を象徴するかのような寺で、その建立はなんと247年。三国時代の産物である。


入ってみると、広場の真ん中に三重塔がたっており、何故か皆これにむかってコインを投げている。おそらく投げたコインがこの中に入ると幸運をもたらすことになっているのだろう。


「すごいな、これ。まるでコインの雨だ。お金を皆で投げ合うってのは、しかし何とも行儀が悪くないか?」


しかし、ふとみると、既に友人は腕をまくって、振りかぶってコインを投げ始めている。


そして次の瞬間、自分の足下にも、コロコロと銀色のコインが転がって来た。手に取ってみると、Yi Yuan。中国人民銀行1元。と書いてある。1元硬貨だ。大きさは、1ユーロコインよりも一回りだけ大きい。


「よっし」。


こっちは野球部で背番号「1」をつけて投げていたんだ。これぐらい、軽い、軽い。それっ。


「あ!」


上に向かって投げた筈のコインが、力を入れ過ぎたせいか、グイーっと曲がって、人混みの中へとライナー性の放物線で突っ込んで行く。そもそもコインなんて真っすぐに飛ぶ筈がない(笑)。


一瞬、誰かに当たったのではないかと焦ったが、しかしここは中国。日本だったら、人混みに硬貨がすっとんできたら、白い目で見られるのは明らかであるが、ここでは誰一人そんなこと気にする様子もない。何事もなかったかのように、線香に火をつけて広場でもお祈りをしているのである。


これに安心すると、次から次と転がってくる硬貨を拾い上げては、ひとしきりコイン投げに興じると、不思議と心が落ち着いてくるのであった。