2009年5月23日土曜日

ふつうのごはん

ふつうのごはんが一番うまい。ふつうというのもあいまいだが、家で食べる何でもないメニューのごはんのことだ(全然クリアになってないか(笑))。例えば、白いごはんにお味噌汁に、あとは何でもよいが、今日は一日天日干しした静岡のサバをグリルで焼いた。実は、これに生卵とからし高菜があったので、今日はかなり豪華だった(笑)。

このような何でもないメニューだけれども、それでもきちんと拘って作れば本当に美味しくなる(どうでもよくつくると、どうでもよいごはんになってしまう)。それに、こういうのをこだわってきちんとできたごはんは、レストランで食べるよりも得てしてうまいものだ。

こだわりのポイントは、一にも二にも、まずは食材。白いごはんもやっぱり米には拘らないとだめだ。こないだまで魚沼産コシヒカリを食べていたが、ちょっと前に(やっぱりちょっと高かったので)どうでもいい米にしたら、味に歴然と差が出てしまった。今日はちゃんと鍋炊きしても、やっぱり全然かなわない。お味噌汁もそう。入れる具は新鮮なものがいい。特に野菜はそう。肉や魚は大きなものになると少しおいた方が味がよくなることもあるが、野菜ではそれはない。取れ立てもぎたてが一番旨いということになっている。それと味噌も添加物なしのいいものを使うと全然風味が違ってくる。それとやっぱり差が出るのは出汁だろうと思う。私なんていつまでも横着して顆粒の出汁をつかってるが、これとて、ちゃんと上等のかつお節を買ってきて、家で鉋で削って、さっと出汁をとったら、もっと旨いにちがいない。

魚は言うまでもなくいいものを選ばなければいけない。魚に関していうと、(野菜よりは見分けは簡単なのかも知れないが)、いいモノを見分けられること自体が、ものすごい人間力の一部だと自分は思っている。残念ながら、私はぱっと見て、新鮮な魚かどうか、いまだに見分けがつかない。

先日も、マコガレイを買って来たところ、これが全然古くて唖然とした。中華風に味を濃くしてやってみたけど、どうにもならんかった。

それに比べて、というか比べてはいけないんだけども、福井のおじいちゃんは見た瞬間に見分けがつく。それも新鮮か古いか、そういうレベルではないようだ。こないだも、海岸近くの店の軒先でサバの切り身を炭火焼きしてたのが、偉い旨そうに見えたので、「あれは、旨そうだね」といったところ、「あれは、冷凍ものや。しかも半年以上経っとる」と。「何が違うの?」「見たとこが違うんや。30年も魚みとれば、分かるようになる」。エラが赤いだの、目が透き通っているだの、そういうレベルでは全くない。まあ、そこまでの域にはまず到達できないのだけれども、足しげくいい魚屋に通っては、買って食べてみる、それを繰り返しながら、結局は、体験で覚えるしかないのだ。

さて、そんなんで、ふだんの何でもないメニューでもこだわりを持って、ちゃんとつくるとレストラン以上の食事になる。というか、レストランの食事というのは、よっぽどいいところにでも行かない限り、旨いものにはあまりありつけないのが常でしょう。子供だましの旨い料理はどこにでもあるけれども、本当に旨いものは、そうそうあるものではありません。

まあ、そんな背景というか、日頃の思いもあって、先日とある人とどんな食事が好きか、という話になった時にうかつにも、「やっぱり卵かけご飯が好きだなあ」と言ってしまった。私をよく知っている人ならよかったかも知れないけど、言ってしまった後で後悔しても既に遅しで、訝し気な顔をして、一瞬の沈黙が走った。やもめ暮らしでろくなもん食べてないに違いない、そう思われたのはおそらく間違いのないことだった(笑)。

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