2010年9月23日木曜日

朝食から始まる上海の一日


「いやあ、やっぱり上海はすごいね」。

旧イギリス租界のバンド(地区)は中国語ではワイタン(外灘)と呼ばれる。上海一の目抜き通り、南京東路を右に折れると、この通り周辺こそが外灘。河(黄浦江)に沿って500mぐらいの細い一帯に、壮麗な西洋式建築が並ぶ景観は、圧巻だ。

我々は、この外灘を5ブロック歩いたところの角にあるビル、外灘3号に入って行き、ジョルジオアルマーニの基幹店の中を通ってエレベーターに乗った。

「ガイドブックによれば、確かここにカフェが入っている筈だよ」。

しかしエレベーターのボタンにはカフェらしき案内がない。(一体、何階なんだろう?)。エレベーターに飛び乗るも、階のボタンを一向に押さずにそわそわしている我々に、他の乗客が怪しい視線を向ける。狭いエレベーターには、他に5人の西洋人の女性達が乗っていたのだ。(この人達、一体誰?)。ほんの一瞬気まずい空気が漂ったその瞬間、彼女達がフランス語で何やらひそひそ話を始めた。何を言っているのかは聞こえないが、フランス語であることははっきり分かった。我々の事を怪しんでいるのだろうか?

Est-ce qu'il y a an cafe? (カフェって、ここにありますか?)。

Sept. (7階よ)。

とっさに昔勉強したフランス語が口をついて出てきた。こういう時は何か会話をした方がお互い安心するというものだ。しかも自分の国の言葉であれば尚更であろう。

7階につくと、そこはNew Heightsというお洒落なダイニング&バーであった。テラスに出ると、河(黄浦江)の東に広がる現代の金融センターの超高層ビル群と西に広がる19世紀の金融センターの西洋建築街が一望できる壮観な景色が目の前に広がった。

「いやあ、本当にすごい」。

上海は仕事では何度か行った事があったが、一緒に行った大学時代からの友人にとっては初めてであった。かといって、今回我々に特別な計画があったわけではない。

「取りあえず、今日は市内を歩いて回ってみようよ。まずは人民広場からメイン通りを通って外灘あたりがいいんじゃないかな」。

地図を見ながらやっとその結論に達したのは、その日の朝、ホテルで朝食を食べ始めて2杯目のコーヒーを飲み終えたぐらいの時だった。それもどちらかと言うと、ダイニングルームの終了時刻11時を回ってなお、のんびり話し込んでいる我々2人を何とかしようと、従業員が一斉に片付け始めたからだったと言ってよい。

「それにしても、このホテルは正解だったねえ。上海の騒々しい中心地にほど近いのに、ここだけは嘘のように静けさがある」。

実は、ホテルを決めたのは、上海出発のなんと1日前だった。というのもリサーチと話し合いに5日間ぐらいかかったためであり、特に最後の3日はほぼ徹夜に近い状態だった(笑)。そうして決めたのが、ここMoller Villa Hotel。19世紀から20世紀にかけて上海で活躍したユダヤ人の富豪、Eric Moller氏の邸宅を改築してホテルにしたものだ。洋館といえば洋館であるが、Eric Moller氏が娘さんのために建てたメルヘンチックな建物であり、一見お城のような独特の外観が特徴。しかし一歩中に入るとアンティーク家具に囲まれた空間が落ち着いた雰囲気を醸し出し、都会の喧噪を一気に忘れさせてくれる。ここのダイニングルームはまさにそのような空間だった。

「いやあ、本当、苦労して探した甲斐があった」。

上海での4日間の過ごし方は、全てその日の朝、このダイニングルームで朝食を食べて、コーヒーを飲みながら決めることとなり、その結果としてどの日も豊かな時間を過ごした事は間違いのない事だった。しかしながら、この毎日の朝食の時間そのものがまず非常にリッチな時間であった。朝食の時間には、その日の予定以外にも、ここで前日の振り返りをしながら、小さな発見を共有したり、どんなインスピレーションを受けたかを勝手気ままに披露したり、更には、中国の文化経済習慣について、仮説を言いながら大いに議論を繰り返した。それによって、見聞きしたつぶつぶの事象を繋ぎ合わせ、点が面になっていくように、いろんな事が整理されたように思うのである。

そんな風に朝食の時間を過ごした後、最初に出かけて行ったのが、外灘だったという訳である。

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