2009年6月8日月曜日

第3回サロンdeリオ:The Return of "K"

昨日、第3回サロンdeリオを開催。今回は、昔からの友人である国際金融マンのK氏が4年間のモスクワ生活を終えて帰国したばかり、ということで、K氏の帰国お祝いパーティ兼、先日ご結婚したばかりのI氏の結婚ビデオ上映会、という超豪華版。

今回の参加メンバーは、K氏とI氏に加えて、昔からの仲間である、ジャーナリストのN氏(今回初参加)、すっかりサロンdeリオの常連となった、政治家秘書のH氏、ばりばりの金融キャリアウーマンでありながらフードコーディネーターのT女史(数年ぶりの再会)、留学時代の仲間でかつて一緒にニューヨークのブティックを冷やかしたS女史、それから、今では主婦となったY女史が元気な4歳の娘さん、それからテキサス在住時代のご友人、M女史を連れての参加となり、テーマもさることながら、メンバー、人数としても過去最大規模の開催となり、大いに盛り上がった。

今回の料理としては、昨日は久しぶりに日差しの強く暑い一日となったことから、身体を冷やす効果のある夏野菜のきゅうりとトマトを多めにつかったヨーロピアン風サラダ、それから、夏らしい料理ということで、生姜とニンニクとレモンをつかったジェイミーオリバー風ソースをかけたサーロインステーキのグリル。

しかし、今回のメインは、ヨーロッパで相当お世話になった国際金融マンK氏のモスクワからの帰国に相応しい、ロシアにゆかりのある料理ということで、キエフ風チキンを初挑戦でつくってみた。

キエフ(ウクライナの首都)風チキンとは、文字通り旧ソ連のウクライナではおなじみの料理であるが、鳥の胸肉にハーブバターを詰めて、ころもをつけて油で揚げたカツレツのことである。実は、この料理、必ずしもキエフがオリジンではない。これはフランス人シェフによるアイディアで、しかもニューヨークで生まれた料理だ(モスクワでは、これはモスクワが発祥だという説もあることを補足しておく)。19世紀後半から20世紀前半のニューヨークでロシア人相手の商売をするために、あえて「キエフ風」と名付けたもの、らしい。とはいえ、今ではキエフではどこでも食べられる定番料理のひとつと言っていいだろう。

今回は、このキエフ風チキンを少々アレンジし、オリジナルのレシピからは少し離れた。まず揚げる際に、オーストリアはウィーンのシュニッツェル(子牛のカツレツ)のように、バターを多めに使って香りとコク味を出そうとした。あとは、中身をハーブバターの代わりに、チーズとベーコン、それに東京では一般的なバジル系のハーブである大葉をつかってみた。チーズを挟むのは、フランス料理でも、Le Cordon Bleuのスタイルが有名であるが、コルドンブルーはころもをつけて揚げないので、今回のは明らかにコルドンブルーではない。いずれにしても、揚げ方も中身も違うので、キエフ風、と呼べるどうかははなはだ怪しいが、一応正式名としては、大げさに"Viennese Style Chicken "Kiev" a la Salon de Rio"(ウィーンスタイルで揚げたサロンdeリオ風のチキンキエフ)としてみた(笑)。ま、味の方はまずまずで、ゲストの皆さんにも喜んで頂けたのは何より。仕込みに手間のかかる料理ではあるが、サロンdeリオ定番メニューになりそうな予感(笑)。

これに金融キャリアウーマンでフードコーディネーターのT女史が持ち寄ってくれた具沢山でハーブを効かせた洋風トマト煮込み料理が加わり、とにかく酒がよく進んだ。飲める人が集まっていたせいもあり、夜中間際に、最後スパゲッティボンゴレで締めた時点で、ワインボトル4本、ビールの缶多数がきれいに空いていた。

ビデオ上映会の方は、今回は参加できなかったが、ディレクターのT氏の最高傑作を皆で2度鑑賞。メイキングの写真集とも照合しながら、シーンの分析を行って、再び感動がよみがえった。

昔からの仲間との久しぶりの再会を祝って、日曜日の夜にも関わらず、宴は遅くまで続いた。


2009年5月23日土曜日

ふつうのごはん

ふつうのごはんが一番うまい。ふつうというのもあいまいだが、家で食べる何でもないメニューのごはんのことだ(全然クリアになってないか(笑))。例えば、白いごはんにお味噌汁に、あとは何でもよいが、今日は一日天日干しした静岡のサバをグリルで焼いた。実は、これに生卵とからし高菜があったので、今日はかなり豪華だった(笑)。

このような何でもないメニューだけれども、それでもきちんと拘って作れば本当に美味しくなる(どうでもよくつくると、どうでもよいごはんになってしまう)。それに、こういうのをこだわってきちんとできたごはんは、レストランで食べるよりも得てしてうまいものだ。

こだわりのポイントは、一にも二にも、まずは食材。白いごはんもやっぱり米には拘らないとだめだ。こないだまで魚沼産コシヒカリを食べていたが、ちょっと前に(やっぱりちょっと高かったので)どうでもいい米にしたら、味に歴然と差が出てしまった。今日はちゃんと鍋炊きしても、やっぱり全然かなわない。お味噌汁もそう。入れる具は新鮮なものがいい。特に野菜はそう。肉や魚は大きなものになると少しおいた方が味がよくなることもあるが、野菜ではそれはない。取れ立てもぎたてが一番旨いということになっている。それと味噌も添加物なしのいいものを使うと全然風味が違ってくる。それとやっぱり差が出るのは出汁だろうと思う。私なんていつまでも横着して顆粒の出汁をつかってるが、これとて、ちゃんと上等のかつお節を買ってきて、家で鉋で削って、さっと出汁をとったら、もっと旨いにちがいない。

魚は言うまでもなくいいものを選ばなければいけない。魚に関していうと、(野菜よりは見分けは簡単なのかも知れないが)、いいモノを見分けられること自体が、ものすごい人間力の一部だと自分は思っている。残念ながら、私はぱっと見て、新鮮な魚かどうか、いまだに見分けがつかない。

先日も、マコガレイを買って来たところ、これが全然古くて唖然とした。中華風に味を濃くしてやってみたけど、どうにもならんかった。

それに比べて、というか比べてはいけないんだけども、福井のおじいちゃんは見た瞬間に見分けがつく。それも新鮮か古いか、そういうレベルではないようだ。こないだも、海岸近くの店の軒先でサバの切り身を炭火焼きしてたのが、偉い旨そうに見えたので、「あれは、旨そうだね」といったところ、「あれは、冷凍ものや。しかも半年以上経っとる」と。「何が違うの?」「見たとこが違うんや。30年も魚みとれば、分かるようになる」。エラが赤いだの、目が透き通っているだの、そういうレベルでは全くない。まあ、そこまでの域にはまず到達できないのだけれども、足しげくいい魚屋に通っては、買って食べてみる、それを繰り返しながら、結局は、体験で覚えるしかないのだ。

さて、そんなんで、ふだんの何でもないメニューでもこだわりを持って、ちゃんとつくるとレストラン以上の食事になる。というか、レストランの食事というのは、よっぽどいいところにでも行かない限り、旨いものにはあまりありつけないのが常でしょう。子供だましの旨い料理はどこにでもあるけれども、本当に旨いものは、そうそうあるものではありません。

まあ、そんな背景というか、日頃の思いもあって、先日とある人とどんな食事が好きか、という話になった時にうかつにも、「やっぱり卵かけご飯が好きだなあ」と言ってしまった。私をよく知っている人ならよかったかも知れないけど、言ってしまった後で後悔しても既に遅しで、訝し気な顔をして、一瞬の沈黙が走った。やもめ暮らしでろくなもん食べてないに違いない、そう思われたのはおそらく間違いのないことだった(笑)。

2009年5月16日土曜日

越前の詩

GWに福井に行く事にしたのは、4月の半ばぐらいだったと思う。その頃、とあるプロジェクトの関係で土日を返上してロサンゼルスに出張。16時間の時差の中、某米国企業のCEOをはじめとする3人の経営陣と2時間面談して、再び日本に帰って来たころには、大分疲労が溜まっていた。しかし、それは面談やその後の食事で疲れたのではなく(これは大いに楽しんだ)、往復のエコノミークラスのフライトがキツかったからである。

「芦原温泉に3泊もすれば、身体の痛みなど、すぐとれるはずだ」。

そう思って、GW中のチケットを予約したのであったが、しかし、それまで待てず福井へ行く前日に関東の温泉に一足早くつかりに行ってしまったのであった(笑)。

福井県は日本の都道府県の中で最も目立たない県のひとつかも知れない。旅行ガイドブックでも、北陸といえば、加賀百万石前田家ゆかりの金沢は必ず取り上げられるが、福井はぜいぜいその他扱いだろう。しかし、福井の観光地としての(不)人気は私にとっては、例えて言えば、昨日のエジプトの天気のようなもので、はっきり言ってどうでもいい事である。緑の美しい山があって、水のきれいな川がある。歴史があって、文化がある。そして食べ物が美味しい。これだけでも訪れるに十分な理由と言えるだろう。しかし、もう一つ私が福井を訪問する理由を挙げるとすれば、それは福井が、いや、三国こそが、私の祖先のゆかりの土地だからである。もう少し平たく言えば、親戚が多く居るということである(笑)。

今回は3泊したうち、初日はおじいちゃん宅でゆっくりお話。2日目はおじいちゃんとおばあちゃんを連れて、日本六古窯の「越前焼」の陶芸の里を訪ねた。3日目は、今度はおじいちゃんだけ連れて、越前和紙の里を訪問。4日目は従兄弟と一緒にゴルフの競技会に参加させてもらった。とにかく充実した旅となった。

この時期の福井は新緑に笑う山々がとても美しい。越前和紙の里の古い街並はとても趣があり、1300年の歴史を誇る大滝神社(トップの写真)は本殿が物凄い迫力のある素晴らしい建築そのものであるが、それが緑の山の手前にぽつんと佇む様子が何とも素晴らしく、その本殿に行くまでの樹齢の高い木々といい、とにかく素晴らしいに尽きる。

この地が1500年もの間紙漉の里となっていた理由は、ここに(偶々)紙漉の技術が伝えられたこともあろうが、何よりここの水が特別にきれいだからである。即ち、自然の恵みである。この集落は、こうして1000年もの間、自然の恵みの水によって、紙漉を行い、技術を高め、そして繁栄してきたのである。その紙の神こそが、この大滝神社とこの近くにある岡本神社に祀られているのだ。

ここは今観光地としての開発が少し進んでいるが、正直観光地化している部分はあまり面白くないと思った。それよりも、古い街並がそのまま残っていた方が私にとっては魅力的である。

この日、おじいちゃんは昔からの知り合いの方をこの街に訪ねた。住所も知らない。知っているのは名前と、何年も前に来たことがある、その記憶だけだ。しかし小さな集落であるし、その人は紙の世界では有名な方、なのだとか。通りを歩きながら行き交う老人の方に道順を聞いて、漸くその家にたどりついた。嬉しそうに突然の訪問客を迎えるその方も御年88歳になられる。しかし至ってお元気そうである。軒先でお茶を頂きながら昔話に花を咲かせていたところ、この方が、「これに俳句を書いてくれませんか?」と短冊と筆を用意して持って来た。おじいちゃんがささっと迷わず筆を走らせると、短冊には、この土地に相応しい、詩が現れた。

「雪解川 命の紙の 詩流る」

この旅の間、おじいちゃんからは仕事や料理や魚の目利きや歴史の話など、とにかく色んな話を聞き、大いに勉強をさせて頂いた。その内容は、しかし遭えてここで書くものではない。

遭えて書き足すとすれば、従兄弟の家で頂いた最高のごちそうのことである。今回思ったこと、それは、日本海と言えば、魚。魚と言えば、何はさておき、やっぱり河豚だなあ、ということ。河豚の旨さは何物にもかえることができない。魚の大様。King of Fish。私の知る限り河豚が食べられるのは日本だけ(中国では食べるかも知れない)。ヨーロッパでは話題にしても、食べることはない。日本で必ず食べなければならないもの、それが河豚だなあ、と思う。それから鮟鱇。鮟鱇は英語でMonk Fishと言って、ヨーロッパでも高級魚として扱われており、私もスペインなどでよく食べたし、家でも料理をしたことがある(但し、ヨーロッパにおいては、鮟鱇漁が底引き網を使うことから環境への配慮であまり食べてはいけない魚、と見る向きもある)。しかし、今回食べた鮟鱇は今までにどれと比較しても、いや比較すらできない程に美味であった(幸)。とくに肝(あんきも)。これはもう、えも言われぬ食感と美味しさである。鮟鱇の肝というと、東京は江戸の老舗の鮟鱇鍋屋でも頂いたことがあるが、全く同じ物とは思えない逸品であった。というか、本当に違うものだったと思う。お店で食べたあんきもは蒸してあった筈だ。今回のは生。それを鍋でささっと火を通して、アツアツで頂いたのだから、もうこれは別物。ヨーロッパではフォアグラは食べてもあんきもは食べない。しかしあんきもはフォアグラより上、と個人的には思う。私もいつか鮟鱇の吊るし切りを覚えたいものです。

2009年5月10日日曜日

国際文化会館で親友二人の結婚式

素晴らしい天気の中、国際文化会館という庭園の美しく、また建物のデザインも秀逸な、素晴らしい環境のもと、学生時代からお世話になっている二人がめでたく結婚式を挙げた。

人前式を庭園で執り行った後、屋内に入って披露宴。学生時代の友人が集まり同窓会的な雰囲気もあったが、新郎の暖かい人柄、新婦の国際的で洗練された趣味や友人(ドイツやアメリカからも友人が参じた)が醸し出す雰囲気は、上品ながらも暖かいもの。

デザートは再び庭園に出て頂くという段取りで、日の落ちた暗い庭園がライトアップされて、心地よい気候の中で、とてもよい雰囲気を皆で味
わった。披露宴では、大学の共通の友人が制作したビデオが大好評の中上演され、新郎新婦はじめ会場が騒然。毎晩3時まで頑張ってつくった傑作が日の目を見、大きな拍手とともに、友人の労も報われた。

とにかく素晴らしい天気、素晴らしい会場、素晴らしい人達、素晴らしい結婚式であった。

I君、Sさん、おめでとう!

第2回サロンdeリオ: "The World is Not Enough?"

4月26日に第2回サロンdeリオを開催。

今回はテーマをどうしようかなあと思っていたところ、007の映画を偶々見ていて、これだと思った。The World is Not Enough(?)。というのも今回のゲストは皆世界のあちこちに住んだことがある人ばかり。以前、ベルリンでお世話になっていた国際的な友人K氏夫妻に、学生時代からの留学仲間二人(H君とF君)。更に、私の留学先の大学在学中、ロシアはサンクトペテルブルグにも留学していたキャリアウーマンのMさんに、美大を出てニューヨークに渡ったインテリアデザイナーの女性Yさんだったからである。テーマを上記のようにしつつ、世界中の料理をこしらえよう、そういう意図であった。

それでつくった(用意した)のは、以下の品。

1.真鯛のセビーチェ(南米ペルー料理)
2.トマトとモツァレラと生ハムのグリーンサラダ(イタリア風)
3.ゴーダチーズ(オランダ)
4.蕎麦の実(ロシア、コーカサス)
5.チキンのもも肉とオリーブのトマト煮(アフリカモロッコ風)
6.アイスクリーム(ニュージーランド)
7.ジャスミン茶(中国)

幸いゲストの皆様も上記料理を喜んでくれて、お酒もすすんで、会話がはずんだ。参議院議員秘書をつとめて、つい先日の国会用に議員の質問をほぼ徹夜でドラフトしていた友人が地方政治について熱く語り、ベルリン帰りの友人は農業の夢を語ったところ、Mさんに教えてもらった都内の畑を後日早速借りて、すでに種まきをした様子。F君は静岡県のマラソンを走った直後にかけつけてくれて疲れた様子もなく超人のよう。Mさんは和食器、とくに九谷焼がお好きのようで、自分の焼き物の本を見入っていた。

サロンdeリオは、とにかく美味しいものを食べて、お酒をのみ、人生の楽しみについて話す会。今後もときどき開催したい。ちなみに、第一回は4月4日で、テーマは瀬戸内祭り。尾道で買ってきたでべらをはじめ、最後はたこ飯でしめるなど、瀬戸内の味を皆で堪能。そのときのメンバーはH君ほか、ダンス仲間の女性陣で、食事が終わると狭い部屋にもかかわらず、チャチャチャを踊りだす場面にも遭遇した。

2009年4月13日月曜日

旬の魚 - メバル

今週はとても天気のいい週末となった。

今日は午前中から昼にかけて友人の結婚式の打ち合わせで新宿に。ウェディング写真の打ち合わせで、自分の知っているカメラマンを紹介することになっていた。二人とも学生時代からの親友同士で、とても感慨深いものがある。どんな結婚式になるのか今から楽しみだ。

打ち合わせが終わると、そのまま近くでロシア語のレッスンを受けた。最近少しさぼっていたので、かなり忘れてしまっていたが、今日は新しい先生がついてくれて、この先生の教え方が非常によく、また一段とやる気が出てきた。

さて、ロシア語のレッスンが終わって、お腹がすいていたので近くのスーパーに買い物に。見ると、春から初夏にかけてが旬の魚、メバルが並んでいた。新潟でとれたもので、見るからに新鮮。メバルはカサゴに似た魚であるが、違いは何と言っても目が大きいこと。名前の「メバル」は漢字で書くと「目張」であって、まさに目が張っているところからきている。メバルには、黒メバルと赤メバルがあるが、色は違っても同じ魚。生息水域が深くなると、色が赤くなる(この特徴はカサゴも一緒だ)。今日のメバルは赤みがつよいので、深い水域で捕れたものだろう。深いということは水温が低いということであって、その分身がしまっている、ということだ。メバルは塩焼きにしてもいいが、代表的なのは煮付け。大きさが20cm程度の魚なので、おろさずに姿煮にすると皿が立派に見える。

早速、エラとワタをとって、煮付けをつくってみた。このように姿煮にするときには、最後皿に盛るときに頭を左に向けるものなので、ワタをとるには身の右側に包丁を入れて抜くのが定跡。これを隠し包丁と言う。そうすると、皿に盛ったときに跡が見えない。

今日は冷蔵庫にエノキとエリンギが残っていたので、これらを一緒にいれてみた。味付けは全く目分量であったが、酒、醤油、みりん、水。若干薄味だったが、身がしっかりしていて、とても美味であった。

2009年4月5日日曜日

尾道の展望台にて

「あら、戻ってらしたの?これから英語のレッスンがあって、先生がくるんだけど、よかったら一緒にいかが?」「先生は、若い女の子よ」

倉敷を出て次に向かったのは尾道だった。JR山陽本線のプラットホームに立って暫くすると、「いい日旅立ち」の曲に乗って、電車がホームに入ってくる。乗り込むと、瀬戸内の豊かな陽が差し込む車内は、ぽかぽかで椅子に座るやいなや、すぐに眠くなってきた。前の列には地元の高校生らしき3人乗っていて、大きな声で話をしている。

「聞いてよ、私の姉ちゃんさあ、今台湾人と付き合ってるんだよ。やばくない?アメリカに居るんだけど、台湾人が彼氏なんだって。陳さん、らしんだけど。それってさあ、もし結婚したら、姉ちゃんの名前、「陳さとみ」ってこと? 絶対いややわ、それ」。

岡山駅から倉敷に向かったときは、隣のブースにアメリカ人が二人乗っていて、やはり大きな声で話をしていたことを思い出した。この車両に居るのは、殆ど皆地元の人に見える。アメリカ人はおろか、大阪人すら居そうにない。いよいよ旅情が湧いてくる感じだった。

尾道に行くのは、はじめて。ガイドブックは読んだが、街のイメージは何もない。ただ、のどかな瀬戸内の雰囲気を感じられることを期待していた。

尾道は、瀬戸内海の尾道水道に沿って、東西に細長い街だ。その真ん中をアーケードの商店街がつーっと通っている。そのすぐ北に平行して道路が一本と線路が走っていて、その北がもう小高い丘。ここに神社仏閣も多く並んでいて、昔ながらの民家も軒を連ねている。「坂の尾道」、はこの部分から来ている。

その尾道の坂道を登り歩き、千光寺に行ってみた。眼下に見下ろす尾道水道の眺めはなかなか。しかし、この日はとにかく寒かった。これはたまらんと、せっせと坂を降り始め、尾道ラーメンを食べて、さっさと向島の宿に戻ることを決めたのだった。

この宿は以前から知っていたところではなく、インターネットで検索してヒットしたB&B。ここにした理由は場所が「向島」という一応「島」にあったからで、尾道を全く知らない自分が勝手に東京の自宅で想像したのは、瀬戸内ののどかな漁師の島みたいなものだった。

ところが、着いてみると向島の印象は全く違っていて、目の前に船舶の修理工場があって、工業的だし、環境も正直いいとは思えない。早くも後悔しそうになりながら何でもない住宅街を荷物を持って歩いていくと、漸くこのB&Bが現れたのは、古い床屋さんを右に曲がって行ったところだった。

「あれ?この家だけ、雰囲気が違う」。

まず家が大きい。確かにB&Bをするぐらいだから、大きくないと話にならないので、考えてみれば驚くには値しない筈なのだけれど、それにしても、こんな街並の中で、こんな大きい家。

「何をやってる家なんだろう」。

出迎えてくれたのはおばあちゃんで、おかみさんはその日は東京に行っていて、夜戻るのだとか。いろいろ話を聞いてみると、お孫さんが3人いらして、大学等で外に出るようになって部屋が空いたので、B&Bにしているらしいことが分かった。

「今日は丁度東京の大学に行っている孫の卒業式なんですよ」。

「お孫さんは、東京でどちらの大学に行かれていたんですか?」

「東京大学です」。

(一見何でもない田舎にぽつんとある大きな屋敷。しかもお孫さんが東京大学となると、この辺の名士の家に違いない...)。

のっけからそんな風にこの家に対して関心の度合いが高かったので、ちょっと寒くなるや、尾道観光はそっちのけで、この家の人といろいろ話をしてた方が面白ろかろう、そう思ったのである。

宿に帰ってみると、そこのおかみさんがちょうど英語のレッスンを受けるところだったのだ。

「じゃ、ぜひ」。

全く躊躇いもなくこう答えたのに、おかみさんも一瞬驚いたようであったが、おかみさんより先にさっさと下に降りて行ってしまった。

「こんにちは」。

自分はてっきり外国人かと思っていたら、日本人の女性だったので、こっちも一瞬驚いた。しかも若い。聞いてみると、この先生は、もともと生まれは向島だが、お父さんの仕事の関係でハワイで育ち、その後パリの大学に行って、先日卒業したばかりとか。英語は殆どネイティブで、発音は完全なアメリカ式だった。

この日のレッスンのテーマはこの先生が大学で国際政治を学んでいたこともあり、英語の初級者向けのテキストには全くもって不向きであったが、ソマリアへの自衛隊派遣の記事を読む、というものだった。この記事を先生と自分で音読して、その後おかみさんにも読んでもらい、一緒に発音を勉強したり、意味を追って行ったりしたあと、ソマリアの海賊問題の背景や、アデン湾の地政学的重要性などについて話をしたりした。まさか尾道まできて英語のレッスンに立ち会えるとは思ってもおらず、思いがけず、楽しい一時となった。

それにしてもだ。そもそもこの先生は本来は英語の先生でも何でもない。ハワイで育ってパリの大学を出た、いわば「洋行」戻りの人なのである。そういう人を地元で見つけてきて、週に一度家によんでお茶をしながら、英語の勉強という名目のもとにいろいろお話をして見聞を広げる。これは言ってみれば、「サロン」を開催しているようなものである。その姿勢たるや、江戸の大名かパリの貴族さながらである。こういうことをしようとするアイディアや好奇心というのは、自然と身に付くものではない。これこれそがこの家の「育ち」だろうと思った。このおかみさんの息子さんが東京大学に出られるのも頷ける。

さて、このレッスンが終わると、おかみさんは先生を家まで送りに出て行ったが、自分はひとりリビングでストーブにあたっていると、今度はこの宿のおばあちゃんが出てきて、家のアルバムをもってきて見せてくれた。どれもいい写真だ。聞くと、既に亡くなられたが、このおばあちゃんの旦那さんが、文化的な人で、映画造りなどもやっていたが、写真家としても活動していたのだという。まだまだ海外旅行などが一般的でない時代に、船でヨーロッパにわたって映した貴重な数多くの写真や、広島の原爆の後を追った写真など、何冊ものアルバムが出てくる。
「これは、あの人が、〜にいったときに撮ったものです〜」。

といった調子で、一枚一枚解説付きだ。写真もさることながら、私はこのおばあちゃんが一枚一枚を解説できるというのは一体どういうことだろうか、と思った。写真家というのは写真を撮りに行くときは、独りで撮りに行くものだ。このおばあちゃんは決してその場に居た筈がない。ということは、写真ができた後に何度も何度も話を聞いていた、ということだろうか。それにしても、これだけ多くの写真である。私はこのおばあちゃんがアルバムのページをめくる度に、昔あったであろう、おじいちゃんとおばあちゃんの会話の様子を想像しながら、解説を聞き入ったのであった。

「あら、おばあちゃん、まだやってるの〜。すみませんね〜」。

おかみさんが帰って来た。

「いいんですよ。私も写真を見るのが好きですし、こんな貴重な写真なんですから。観光よりもこっちの方が全然面白いです」。

「あら、そうなの。じゃあ、こんな写真もあるわよ」。

といって持って来てくれたのは、昔からの家族の写真であった。写真家のおじいちゃんの前の大おじいちゃんの写真もある。しかも、何と日露戦争前後の時代に、アメリカに渡っているのである。

(尾道の豪商の末裔なんだ...)。

翌日の朝、朝食を頂くと、ぼちぼちチェックアウトの時間が近づいていた。鞆の浦によって帰る計画で、宿の人にも行き方を聞いていたのだ。荷物をまとめて、お支払いをすませて、ブーツに足を通す。

「向島、反対側もちゃんと一周して見られました?」

「今回は残念ながらその時間はなかったですね」

「では、今からドライブしませんか?島を見せてあげますよ」。

おかみさんからの思いがけない提案だ。

「あんた、何を、お客様はこれから鞆の浦にお出かけになる、言うてるときに」。

おばあちゃんがおかみさんを見る。

(鞆の浦はまたこの次だ)。

そう決めると、おかみさんのローバーに乗って、海岸沿いに出た。昨日の寒さとは打って変わって、天気がいい。島の反対側に来てみると、こっちは尾道水道側とはうってかわって、自然が美しく、工業的なものは何もない。ヨーロッパ人が大喜びしそうな、リゾート地である。

「私の好きな展望台にお連れしましょう」。

そういうとローバーは坂を駆け上がって、みるみる小高い山を登って行く。

「どうです?きれいでしょう?」

ついたところは向島でも有名な、しかしそれほどよく知られている訳でもない穴場的なスポット。展望台があって、向島の周囲が一望できる。そして、しまなみ街道が遠くに見渡せて、天気がいいと、四国の影が見えるところだ。

「いや、本当に素晴らしい環境ですね」。

それにしても何だろう。これだけの環境資源に恵まれたこの島なのに、全体的に寂れている。海岸もとても美しいのに人の気配が殆どなく、見たのは老人ホームだけだ。どうしたら、ここにもっと人が集まるのだろう、いや、集まらなくてもいい、でももっと豊かにこの土地をエンジョイしてもいいのではないだろうか。ヨットやウインドサーフィンなどのマリンスポーツ。スキューバダイビング。釣り、そしてビーチでのバーベキュー。ビーチに面した通り沿いにテラスを出してのんびりビールでも飲む。あるいは単に犬を連れて来て散歩していてもいい。少なくとも、これがヨーロッパであれば、こういった環境の周りに人が集まり、気に入った家をたて、のんびりと暮らし、あるいは休暇を楽しむだろう。環境のよさ、特に自然環境のよさは、お金で買えるものではない。だからこそ貴重なのであって、そこに人が集まってくるのだ。

「尾道は、これからどうしたらいいですかね?」

そんなことを考えていたら、ふとこんな会話になった。

「ここに住んでる人がまずは豊かに楽しく暮らす。それがいいのではないでょうか」。

そう言いながら、しかし、地方の行政について改めて考え直してみなければならない、そう思った。大きな規模の経済活動の中において、個人がばらばらに何かやっても焼け石に水だ。

そう思いながら、改めてもう一度この展望台からの景色を眺めてみた。