2010年9月6日月曜日

バイオリンリサイタル@静岡


「静岡までバイオリンのリサイタルを聞きにいかない?」。それは世界各地でクラシックに親しんで来た国際金融マンK氏のお誘いによるものだった。リサイタルは日曜日。ならば前日から静岡に入って、いろいろ見て来よう、ということで土曜日の12時に東京駅で待ち合わせ、新幹線に乗り込んだ。東京から「ひかり」でたったの一時間。静岡駅に降り立つと、観光案内所によって地図を何種類かもらったのち、すぐにレンタカーを借りにいく。前回K氏とレンタカーの旅をしたのは、2006年のセビリアだったと思う。その時も予約なしで車が借りられたように、今回も問題なく借りることができた。しかし、車はあっても目的地は決まっていない。そこで「まずどこかで地図やガイドを読み込もう」(笑)、ということで、向かったのがここ、日本平。標高308メートルのこの丘からは、清水の港町と澄んでいれば富士山がきれいに見える景勝地だ。ここ日本平ホテルのカフェにてこの素晴らしい景色を見ながら、静岡のことをしばし勉強。といっても、K氏の場合は、単に駅の観光チラシに目を通すだけではない。ホテルの人に日本平の歴史について尋ねてみたり、お茶を飲みに来ている周りのお客さんの会話にも少しだけ耳をそばだてるなど、カフェに居ながら集めてしまう情報量が半端ではない。そしてそれら断片的な情報を自らの仮説でつないでいく。テーマは、静岡の政治経済から静岡での生活、人生観まで、いろいろ勝手な意見を言い合う事、約1時間。しかし一貫して検討対象となっていながら、これといった答えの見つからなかった最大のテーマは、「今晩どこで何を食べるか」であった(笑)。

しかし、その答えは思わぬところで見つかった。それは、久能山東照宮をお参りした時に閃いたのではなく、また初秋の風を受けながらロープウェイより屏風のような切り立つ山々を見た時でもない。それは、日本平の丘をおり、清水の次郎長の船宿跡を出たときであった。

「あ、魚屋だ」。

次郎長の船宿跡の2軒となりに、山七という鮮魚屋があった。「魚のことなら、魚屋に聞くのが一番だ」そうつぶやくと、K氏が店の中に入って行く。実は、ここにたどり着くまでに、既に複数の人に「お勧めのお店」あるいは「お勧めの料理」をヒアリングしてきた。しかしながら、「そうですねぇ、ドリームプラザの回転寿司なら、まあリーズナブルでネタもいいですが」「お隣のお寿司も結構いいと思いますよ」といった返答で、歯切れがいまいち。しかしあまりもう時間もかけられない、ということで「じゃあ、回転寿司にでもいってみるか」と半ばあきらめかけていた時だったのである。

「この辺で美味しいお魚食べられるところって、どこですかね?」

K氏が聞くと、「そりゃ、たから屋だよ」。店の奥から、こちらの顔も見ずに、しかし間髪入れずに返ってくる答え。これには確かな手応えがある。(「この人達は旨いところを知ってるぞ!」)。K氏の目の色が変わる。店の奥から清水区の詳細な地図をひっぱり出させて、入念に場所を確認するK氏。そして我々はこの店にたどり着いた。

「いらっしゃーい」。

のれんをくぐると、そこには一本の木からできた長いカウンター席が8席ほど。テーブル席も少々。あとは二階に宴会席があるようだ。年期の入った内装だが、全体に清潔感が漂っている。カウンターの裏には黒板に手書きのメニューが。値段は書いてないが、魚の産地がちゃんと書いてある。そしてカウンターの上には、塩水につかったトコブシが。いかにもいいモノが出てきそうな雰囲気でいっぱいである。

「山七さんに聞いたら、ここに行けって言われたもんで」。

「これお通しです」と、まず出て来たのが、カニ味噌ののった冷製茶碗蒸し。いきなり旨い。「もう一つ、海産物の盛り合わせのお通しがあるんですが、出させてもらってもいいですか?」「はい、はい、是非」と、期待を込めていうと、その期待の3倍ぐらいのものが出てくる。

「ここはすごいぞ」。

これでK氏に火がついた。お通しで既にビールを飲み干していたK氏は、「つぎは日本酒で」と地酒の純米酒「臥竜梅」に切り替え。「1号と4号瓶がありますが」「それじゃ、4号で!」。大きなボトルが出てくると、K氏がコップになみなみとつぐ。

「お客さん、今日はいい赤陸奥がはいってますよ」。

「それいきましょう」。

しばらくすると姿造りで赤陸奥が登場。「えー、これが刺身。油乗っててうまいですよー。あとこっちが多少あぶったやつ、こっちのが肝と皮で、これはポン酢で召し上がってください。あとはあらを味噌汁にしますんで」。

「うわっ。すごい」と言いながら、まずはお刺身から。わさびも本わさびで、全く手抜きがない。「うま」。「いや、ここは正解だったね」。あっと言う間に赤陸奥を攻略した後は、更に鯵のたたき、生シラスの軍艦、メギスの天ぷら、、、と次から次へと地の物を楽しむことができたのであった。

翌日は朝早めのスタートで、今度は海岸線を西に車を走らせることとした。この辺の駿河湾の海岸線には、テトラポットがずっと並んでいて、時折強い波が打ち寄せている。久能街道沿いには、いちごのビニルハウスが並び、「いちご狩り」の看板が立ち並ぶ。しかし、今はそのシーズンではない。人が殆ど見られない。東照宮の入り口付近が少し観光地っぽくはなっているが、寂しい感じである。安倍川のあたりまでくると、国道が内陸に少し入る。「少し住宅地っぽくなってきたね」。しかし今度は街道沿いに大型店が立ち並ぶ、日本でこれまたよく目にする風景となってしまった。こういう所には、2人とも全く興味が湧かない。そのまま関係ない話をしながら素通りして、結局「魚のまち」の接頭語に惹かれて焼津の漁港に行ってみた。

「なるほどね」。

焼津では、静岡名物の黒はんぺんと桜えびを食べながら、朝のコーヒーを飲んで、静岡市街へ戻ることに。そのまま今度は市街をぐるっと回って、駿府城後の県庁や市役所の集まる新市街に車を停めて、今度は歩いて散策。まずはメインのデパートの人の入りなどをチェック。そしてショップの様子などを見て歩く事に。しかし、2人とも全く買い物には興味がない。街の雰囲気を見るだけである。

「うーむ、やっぱり静岡って、銀行と役所なのかね」。

市街の一等地で圧倒的な存在感を見せるのは、県庁、市役所、区役所のお役所と静岡銀行であった。旅のメインのコンサートを前に、もうすっかり静岡をエンジョイし切ってしまった感があったが、間違いなくここからが旅のメインイベントであった。このバイオリニストはとても素晴らしく聡明なプロの演奏家で、これまでに東京で2度リサイタルの機会があった他、以前は欧州やモスクワでもご一緒する機会があり、プロの音楽家の感性をよく教えて頂いていた。とくに印象に残っているのが、「音色に演奏家の性格が現れる」ということだろうか。とにかくこの日もとても素晴らしい演奏で静岡の旅を締めくくる事ができた。

2010年8月22日日曜日

山登り@棒の峰

昨日は友人5人で埼玉県名栗村に山登りにいった。ここは、1,000メートル弱で初心者向け。沢伝いに登るコースはマイナスイオンもたっぷりで、非常に気持ちよく登れる素晴らしいコースだ。この山を登ることになったきっかけは、自分が以前よく登山に連れて行ってくれた友人の法律家Iさんに「また、行こうよ」と言ったのがきっかけで、いつもながIさんが全て計画してくれたものである。自分としての登山の楽しみは3つあって、一つは皆で一緒に登る楽しみ、二つ目は、登ってご飯を食べる楽しみ(笑)、三つ目は、降りて来て温泉につかる楽しみだ。今回はこの三つが全て満たされる山登りとなった!

今回はIさん夫妻の他、以前潮干狩りでもご一緒したCさんとCさんのご友人で都市計画を行っているYさんと初めてご一緒したが、普段あまり聞く事のできない建築や都市デザインの話を道すがらたくさん聞く事ができた。

さて話をしたり写真を撮ったりしながら登り初めて3時間で頂上に到着してお昼に。山登りした時のご飯は本当に美味しい。今回は、前日にサンドイッチをつくっていったが、昔オランダでダンスの大会前日の夜によくサンドイッチを作ったのが思い出された。お昼時にCさんが持って来てくれた冷凍パイナップルを皆で頂いたが、これが素晴らしく身体にしみいるような旨さであった。

下山はそれほど消耗しないかと思ったが、すべって危険な沢コースをやめて、冬登山コースを降りたところ、これが思いのほか急で非常に疲れたが、その分下山後の温泉が格別であった。

名栗村は、登山だけではなく、そもそも景観が素晴らしく、麓のまたキャンプ場では多くの家族が沢遊びに興じていた。「さわらび温泉」も居心地がよく、一日遊ぶのにはとてもいい場所であった。

2010年6月22日火曜日

クミコ ー あるシャンソン歌手について

先日、東京国際フォーラムで行われた「クミコ」のコンサートに行った。クミコは、シャンソン歌手として良く知られていて、特に松本隆氏との出会いをきっかけに近年ファンが急増している。最近では、「祈り」がYUSENで総合一位にもなっている実力派の歌手だ。

前回クミコの歌を生で聞いたのは、もう7年以上前の事で、当時は、確か渋谷か恵比寿の小さなライブハウスだったと思う。歌というものをよく知らなかった当時の私は、このライブによって、歌を歌うという仕事が、限りなく創造的なものになり得るものだ、ということを初めて悟ったのであった。一流の芸術というものは、いや、それは芸術以外の何であったとしても、一流であればある程、どんな素人にもその素晴らしさが必ずや伝わるものだと思う。クミコは間違いなく、技術と長年の経験を兼ね備えた、一流の歌い手だ。

しかしながら、そのような実力や今浴びているスポットライトとは対照的に、クミコという歌手は、歌手として活動を始めてから、実に20年もの間、(興行的には)華々しい成功とは無縁に、小さなライブハウスで実に細々と歌い続けて来た経歴がある。成人してプロとして生きる道を決めてからの20年というのは、気の遠くなる程、長い時間である。その20年の間のクミコの道のりに、一体どれ程の苦労や絶望が、あるいは、そこにどれだけの希望の光や喜びがあったか、それを知ることはできない。しかし、自分の歌を聴きに来てくれるお客さまに勇気づけられ、最後はどちらかというと希望よりも、むしろ「自分には歌うことしかできない」という開き直りと覚悟で、それこそ人生を懸けて、歌い続ける毎日だったのではないかと想像する。そして自分と真剣に向き合う中で、自分が歌うべき歌を自覚し、その歌に表れた心を、ひとつひとつ丁寧に語りかけるように歌ってきたのではないだろうか。ライブハウスで聞いたクミコの歌に、鋭い創造性と迫力を感じたのは、きっとこのような背景があったためだろう、と私は考えるのである。

さて、そんな数年前のライブハウスでの経験を今回再び体験できるのか、といった期待をうっすらと持ちながら足を運んでみると、当たり前の事ながら、手を伸ばせば届きそうな小さなステージでピアノとアコーディオンだけを伴奏に歌っていたライブハウスと、東京国際フォーラムでのコンサートは、全く持って別のフォーマットのものであった。それはフィレンツェの路地裏の小さな食堂のコックがエノテカピンキオーリの厨房を仕切るシェフになったようなものであって、同じアウトプットを期待することなどできる筈がない。いや、むしろ全く同じ料理を出してはいけないのである。しかし場の設定が大きく変わるからこそ、そこで人がどう変わるのか、そして何が変わらないのか、そこにその本人の生き方があらわれるものだろう。

そういう意味で、今回のコンサートでは、まさに設定が変わっても、本質は何一つ変わらないクミコの歌手としての地に足のついた生き方が、一貫して見られるパフォーマンスだった。むしろ、以前よりも多くのオーディエンスがいることを踏まえて、クミコとして歌わなければならないことを増幅させたのではないだろうか。それが、「反戦」の思いである。

「一本の鉛筆」

もちろん、今回のコンサートは「INORI〜祈り〜」がテーマであって、これ自体が佐々木禎子さんが主人公の平和反戦の歌であることから、反戦の歌を基調としたプログラムとなってもおかしくはないだろう。しかし、クミコにとっては「祈り」という歌が先に来て、それから反戦の歌を歌う歌手になったのではない。その逆だ。

「INORI〜祈り〜」

クミコは、これまで人の愛を歌ってきた歌手である。それを考えると、その対局にある戦争への批判に結びつかないことはない。しかし、私には売れっ子になったクミコが、個人の愛から極めて政治的な戦争を相手にするようになったことに、少しばかりの不協和音を感じなくはなかった。いくら聴衆が増えたと言っても、何もこの平和ぼけした不況下の日本において、反戦を歌わなくてもいいのではないか、そういう思いもあった。しかし、どちらかといえば、それよりも、クミコの歌手としての時間とエネルギーの使い方、言ってみれば、投資効率が悪くなるのではないか、という感覚だったと思う。クミコは個人の愛を歌うことによって、それを聞く人に大きな感動を与えることができる。しかし、クミコが反戦の歌を歌っても、そんな事では戦争はなくなることはない。ほんの一瞬、それが頭をよぎった。

そういうことを感じながらコンサートは後半に突入。後半は、「わが麗しき恋物語」、「愛の讃歌」、などおなじみのシャンソンのナンバーが続く。そして、私と一緒にいってくれた人が、迫力があってよかった、と言ったのも後半のこの歌だった。

「百万本のバラ」

そして最後は「ラストダンスは私に」をUpbeatに、そして女性の多面的な顔を表現しながら歌って、コンサートは終了、そして、アンコールに。そこで最後に出て来たのが、再び反戦歌の「さとうきび畑」であった。

http://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM

「ざわわ」で始まるこの歌は、本当に芸術的で素晴らしい作品だ。さとうきび畑以外何もない平和な沖縄の土地に、なぜ武器弾薬が降り注ぎ殺戮が繰り広げられなくてはならなかったのか。「戦争」のとてつもない愚かさ、そしてどうしようもない悲しみ。これが本当に鋭く突き刺さる。私はクミコがこの歌を最後に歌うのを聞きながら、さっき思ったことが間違いだったと気がついた。そして、このような反戦の歌をクミコが歌うことによって戦争をなくすことはできない、ということを一番よく知っているのは実はクミコ本人ではないか、と思った。それを知ってなお、そこに身を投じて反戦の歌を歌う。できないと分かっていて、それを行い続ける人の思いの強さ、誇りは、できる事だけをやる人、あるいはできると分かっているからやる人のそれを、遥かに上回るだろう。

「ひょっとしたら、本当にこういうことで戦争がなくなるのかも知れない」。最後にそう心の中で思うと同時に、名声を得てなお、自分を見失わないクミコという歌手に、背筋の伸びる思いで、会場を後にしたのであった。

2010年5月30日日曜日

サロンdeリオ:食で人と交わる(餃子)

先日潮干狩りに誘ってくれたI氏ご夫妻や、同じみの金融マンK氏、それから初登場の外資系企業勤務のE女史、そして翌日から2週間のインドパキスタンの旅に出る直前のジャーナリストT氏等に集まって頂き、サロンを開催。今回のテーマは、今一番元気のある国が中国、ということで、「中華」をテーマに、その食の奥深さを味わい、不老長寿を求める中華料理のフルコースと行きたいところではあったが、結局、餃子と、持ち寄って頂いた杏仁豆腐と、最後のジャスミン茶以外は、中華らしいものはテーブルには殆ど登場しなかったと言ってよい(笑)。しかし、食で人と交わると書く、この餃子。皆で話をしながら、せっせと包む作業が何ともQuality Timeにはうってつけではないか。中国でも、餃子の時間と言えば、家族団欒の時間になると言う。今回も、餃子を包みながらの会話で、初対面同士もすっかり打ち解けた雰囲気になったようだ。

ちなみに、中国で餃子と言えば、水餃子か蒸し餃子であって、焼き餃子はない。
従って、今回も本場に倣って、水餃子と蒸し餃子はあっても、焼きはなし。餡には、豚バラをメインとした2種類と、エビとアオリイカの計4種類の味を楽しんだ。日本では餃子と言えば、焼き餃子であることと同じぐらい当たり前の事として、豚の挽肉を使うのが一般的であるが、中国では豚バラなどを刻んで使うことが多いのだとか。今回初めてそれをトライしてみた。出来はまあまあだったと思うが、皮から作っているので、もちもちっとした食感が何と言っても一番で、中国で食べた餃子の食感を懐かしく思い出したものである。また、日本では、餃子と言えば、醤油に米酢に辣油が定番であるが、今回は中国式に黒酢で食してみた。黒酢は日本では江戸時代以来200年以上もの間、鹿児島県でよく作られていて、これは最近よく知られているように、健康食材でもある。

さて、今回は自分が最近、株式会社ワークライフバランスの小室淑恵さんの講演を聞いた直後ということもあり、「ワークライフバランス」について話が及んだ。小室さんの主張を簡単にまとめると、まず「ライフ」の概念の中には、当然ながら、「家族」や「パートナー」との時間や趣味の時間の他に、「学び」の時間や「ボランティア」なども含まれる、ということ。趣味を楽しむだけがワークライフバランスではない、ということだ。何故、それが必要なのか、というと、個人にとっては、健康や人生の豊かさが増すだけでなく、実は、そうやって社外でいろんな活動をすることが、仕事においても社会の動きにマッチした創意工夫を生み出す余地が生まれ易い、ということで、これは間違いなく正論である、と自分も思う。一方、企業側にとってみれば、供給過剰の現在の市場環境において、そのように創造的な仕事ができる人材の必要性は論をまたないし、短時間で生産的な働きをしてくれた方が、「コスト減」に
なることも間違いない。更に実は、日本政府としても、サラリーマンのワークライフバランスは実は重要だ、とも言う。それは、少子高齢化が進む今、年金の財源確保が大きな課題となっていて、子ども手当などの政策で出生率向上をはかろうとの動きもあるが、今出生率が上がっても、20年はその効果が顕在化しない。一方、女性の社会進出推進で女性を労働市場に呼び込む方が圧倒的に時間的アドバンテージがあるからだ。しかし、それを実現するには、男性の側も会社人間ではうまくいかない。このようにワークライフバランスの必要性を、個人と企業と社会の面から説こうとするところが、小室さんのプレゼン力をよく示している。

さて、最後メインには、築地で仕入れて来た「いさき」を中華風の蒸し焼きにしようと考えていたが、刺身がよいとの声が多く、前菜っぽいものになってしまった。しかし、香草(コリアンダー)との食べ合わせが非常によく、これは思わぬ発見であった!


2010年5月5日水曜日

勝浦の初かつお

GWの一日を利用して、今が旬の初かつおを食しに勝浦まで行って来た。勝浦といえば、初かつおの水揚げ日本一を誇る港町。400年の歴史をもつ朝市は、能登の輪島、岐阜高山と並び、日本の三大朝市に数えられる。

勝浦は人口2万人の小さな街であるが、昔は江戸との交易で栄えた港町だ。到着してみると朝市周辺には首都圏のあちこちからの車が密集しており、かつおを丸ごと一本氷詰めにして持ち帰るお客さんで賑わっている。


自分はマーケットに行くのが好きで、ヨーロッパに居た時にも機会があればあちこちのマーケットを見て来た。マーケットは雰囲気に活気があって、数々の商品が並ぶ通りを歩くのは、それだけで楽しいし、また、その場で買い食いができてしまうのも魅力だ。また、そこで売っている食材を見ると、同じヨーロッパでもその土地固有の食文化が見えてくることもあり、食全般について学ぶいい機会にもなる。

今回行った勝浦の朝市は、駅から歩いて10分弱の場所にある、海岸近くの魚市場近くの通りがそれにあたり、だいたい300mぐらいの長さだ。この時期主役の初かつおの他、新鮮な魚介類や干物のお店にくわえて、地元でとれた筍や八頭などの野菜のお店、海苔やワカメ、塩辛、鰹節、など目移りしそうなお店が建ち並ぶこの通りは熱気活気があるだけでなく、地元の暮らしの様子も見えて来てとても面白い。それに、もちろん値段も東京に比べると格安で、ついついあれもこれも買いたくなってしまう。

今回かつおは、朝市のお店でお刺身で頂くことができた。初かつおは、味も美味しいが、香りがさわやかだ。この時期、勝浦ではお刺身の他に、なめろう、まご茶、角煮、などいろんなかつお料理を食している。勝浦では、6月5日に「かつお祭り」があるという。ここではきっともっとたくさんの勝浦のかつお文化に触れることができるだろう。

お土産には、電車だったこともあり、かつお丸ごと一本は断念したが、干物や筍などを持ち帰って、早速うちで筍ごはんにしてみて春の味覚を楽しんだ。しかし、早朝にここでかつお一本買ってくれば、これだけで十分サロンdeリオができてしまう!そんなサロンdeリオをいつかやってみたいなあと思った。

この時期の房総は新緑がきれいで、山にはホトトギスがよく鳴いていた。

「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」(山口素堂)


2010年5月2日日曜日

サロンdeリオ:L.A. Miracle

久しぶりのサロンdeリオを先週末に急遽開催。今回のメンバーは、常連の政策秘書H氏、国際金融マンのK氏、以前も参加頂いていて、最近ロシア担当から有名小説家担当に変更となったジャーナリストのK女史。それからK氏のロシア人脈で自分もモスクワでお会いしていたM女史、元ロシア語専攻のM女史と、ロシア語が第二外国語のN女史。ということで、図らずもロシアに多かれ少なかれ関心のあるメンバーが揃った。

料理の方はつまみがオランダチーズと今が旬の空豆。プリモは、春キャベツを使ったリゾット。リゾットは出汁がポイントとなるが、これは鶏ガラをつかってスープを取っておいた。メインは、(自称)「モロッコ風チキン(a la salon de rio)」。鶏のもも肉を、コリアンダー、クミン、など各種スパイスをまぶしてワインでつけ込んで、それをハーブ、オニオン、ガーリック、ペッパーを入れて、トマトで煮込んだもの。スパイスとトマト煮込みによるインパクトのある風味がエキゾチックなモロッコ風。ちなみに、私はモロッコには行った事がない。
しかし、実際モロッコにいけば必ずやこのようなテーストのチキン料理があると信じている(笑)。それとM女史からは、吉祥寺のカフェロシアのピロシキを差し入れとして頂いた。「ピロシキ」は、日本では揚げパンであることが多いが、正式なピロシキは揚げでも、焼きでもどちらでもよい(ロシアでは圧倒的に焼きが主流)。ピロシキは、複数形の言い方で、本当は、「ピラジョーク」というが、パンの中に具が入っているものがピラジョークとなる。しかし、具が入っていれば何でもよいのではなく、正式には、この「形」をしたものがピラジョークなのであり、他の形をした具入りのパンは、別の名前で呼ばれることになっているのである。従って、この写真のピラジョークこそが本当のピラジョークである。勿論味も最高によかった。

それと、デザートには、お菓子づくりの造詣が深いN女史が、SEIJO ALPESのシュークリームを届けて頂き、皆でご馳走になった他、M女史K女史からもいちごを頂き、皆で美味しく頂いた。

さて、今回久しぶりにサロンを開催して楽しい仲間にお集り頂くことができたが、実はその前の週から1週間休暇でロサンゼルスに行っており、この滞在で大きなインスピレーションを得たことが急な呼びかけのきっかけであった。仕事では何度も行った事のあるロサンゼルス。この中心のない広大なスプロール式郊外をいくつものレーンが並ぶフリーウェイで繋ぐ巨大な消費地の集まりが、自分に特別な意味をもったことは、残念ながら、これまでにない。それがわざわざ休暇をとってまで行く事にした理由は、例えばユニバーサルスタジオに行きたかったからではない。Georgetown大学時代の友人の結婚式に招待されたからである。

こうして、先々週の半ばより直行便にのってロサンゼルスに向かい、1週間のロサンゼルス滞在となった。しかし、結婚式に出る以外は、自分にとっては、ハリウッドもディズニーランドも、ショッピングも、正直なところ特段「ワクワク」させるものではない。空港につくや否や、Hertzで車をレンタカーし、フリーウェイをひた走って、何も見る事なくロサンゼルスの街から出てしまった。そして2時間以上車を南東に走らせて向かったのは、フォールブルックにある田舎のオーガニックファームである。

実は、7年頃前に自分は企業のブランド戦略の延長線上と貧困問題への関心からCSRに興味を持ち始めていた。今では信じ難いことであるが、当時新宿の紀伊国屋書店には、CSR関連の書籍はたったの2冊しかなく、そのうちの1冊が「企業評価の新しいモノサシ」だった。今回は、その本の著者でコンサルタントである斎藤槙さんを訪ねるために、このオーガニックファームまで出向いたのである。斎藤槙さんとは、この本をきっかけに、いつからかメールでいろいろアドバイスを頂けるようになった。当時まだ若く、目の前の現実とありたい理想のギャップを埋めようと懸命にもがいていた自分には、現実に押しつぶされずに活き活きと理想を語って仕事をしている斎藤さんとの遣り取りがいつも大きな励ましとなっていたのである。今では、自分のCSRへの考え方も、随分大きく変わってしまった。しかし、この7年間、自分が飛躍できた部分があったとすれば、その大きな原動力の一つは、斎藤さんとの遣り取りから生まれていたと言っていい。その意味で、斎藤さんは自分にとっての恩人である。そのお礼を一言お伝えしたい。そのような思いでフリーウェイをひたすら走り、丘陵地帯
を越えてこの農場についてみると、ちょうど娘さんを近くの幼稚園まで迎えにいって帰って来た斎藤槙さんと7年後にして初めての対面となった。斎藤槙さんは、思っていたよりも、小柄で華奢な女性だった。しかし、想像以上に、元気で明るく、そして心が真っすぐで全く壁を感じさせないオープンな素晴らしい方で、そして本当にアメリカ人のような英語を話す方であった。

さて、この農場、15エーカーの広大な土地で、ワシントン州出身のアンドレアさんが経営するもの。辺り一面自然いっぱいであり、夜にはコヨーテが出没したり、ガラガラヘビも出るという。この土地で、無農薬栽培のオーガニック野菜や果物を出荷して生計を立てている。斎藤槙さんの案内で、農場の桑の実をつまみ、レタスをちぎって食べ、いちごを鱈腹頂いた。新鮮な野菜や果物は本当に美味しい。そして、ここでは養蜂も行っており、本当の100%蜂蜜もここで頂くことができた。毎日、こんなに新鮮な野菜と蜂蜜が食べられるのかと思うと、ここはもう、それだけで自分にとっては、パラダイスも同然であった。さて、夕飯は斎藤槙さん家族と自分、それからもう一人のゲストで、この辺りの不動産を買うために物件を下見に来たペンシルバニア州で水ビジネス会社を経営するアメリカ人の社長さん、それからアンドレアさんのお孫さん達でテーブルを囲むこととなった。大きなキッチンを前に、まさか黙って椅子に座って待っているなどできる筈がなく、自分もキッチンに立って、農場でとれたブロッコリーをつかって、パスタ料理をつくった。

夕飯の食卓、そしてその後も、夜にいちごをたっぷり乗せたアイスクリームを食べながら、そして翌朝の朝食のテーブルでも、もう一人のゲスト、そしてアンドレアさんを含め、この一泊二日の間に、いろんな話をすることとなったが、話題は子供の教育から、食と農業、アメリカの政治、など多岐にわたり、このような体験から受けた刺激が非常に大きなものであったことは、もはや説明不要かと思う。自分は、このような体験を通じて、そして特に斎藤槙さんからも前向きな感想を頂いたこともあり、サロンをもっと頻繁に開催しよう、そして皆と楽しい時間を過ごし、その中で、日本の政治経済や豊かさに関する自らのビジョンや面白いアイディア、それを多くの人に語り、そして周りの意見に耳を傾けよう、そう決めて日本に帰ったのである。このような刺激を受けて帰った後の自分は、まさに豹変したといってよい。目的意識がつよくなったからだろう。生活ががらりと変わった。早朝に起きて毎朝ジョギングをし、朝も夜も自炊の頻度が圧倒的に増え、今まで以上に本や新聞をよく読み、ものを考えるようになった。まさにロサンゼルスの1週間の奇跡である。

というわけで、ここで得たエネルギーをばねに、これからも美味しい食事を楽しみながら、新しいつながり、そして楽しい会話の生まれる会をもっともっと開催していきたいものである。







2009年12月19日土曜日

ゴルフ修行inゴールドコースト

先週は一週間休暇を頂いて、オーストラリアはゴールドコーストへと行ってきた。目的はもっぱらゴルフ修行。今シーズン不甲斐ない成績で終わっていたことから、来シーズンに向けて、「何かを得たい」という気持ちが強く、思い切ってオーストラリアのゴルフスクールへ短期で入ってみることにしたのだった。この時期、南半球のオーストラリアは現在真夏のハイシーズン。ブリズベン空港から南に1時間車を走らせたサーファーズパラダイスにはサーファーや観光客で賑わっている。しかし、自分はこのサーファーズパラダイスを素通り。そのままもう少し南へと車を走らせ、海岸から15分内陸のVarsityLakeのアパートへと向かった。到着してみると、これが素晴らしく広々としたアパート。洗濯機と乾燥機が完備されている他、リビングには大型テレビとステレオが。そして素晴らしく大きいキッチン!

翌朝早速ゴルフ場に車を走らせ、スクールに顔を出すと、ティーチングプロのオーストラリアの女子プロAnnと面会。Annは現役時代はオーストラリアのツアープロでありプレーヤーとして非常にレベルが高いだけでなく、シンガポールのナショナルチームのコーチを行うなど、ティーチングプロとしての経験も豊富だ。実際Annは素晴らしいグリップとバックスイングをしていて、Annのスイングを見ているだけで勉強になることが多かった。

最初に簡単なオリエンテーションを済ませると早速「仕事」に取りかかった。まずは軽くストレッチをして、それから球を打ち始めてウォームアップ。20分ぐらいボールを打つと今度はスイングをビデオにとって、オフィスの中へ。パソコンをつかってスイング解析を行った。これまでも自分のスイングをビデオにとったことは何度もあるが、しかしいつみても「がっかり」するものである(笑)。しかしこうしてビデオを見ながら、何を直さなければならないかをAnn話し合った結果、「まずはバックスイングを直そう」ということで合意した。ビデオにとってみると明らかであるが、自分のバックスイングはスイングプレーンを外れてインサイドに引き過ぎていたのである。その結果ダウンスイングで手首のローリングを使ってフェースをインパクトで合わせる動きが癖になっていた。「なんて酷いフェースの使い方なの!」思わずAnnものけぞった。「こんなに位置からクラブフェースを最後に合わせていけるなんて、あなた凄い運動神経があるわ。でもこれではいつかミスが出てしまう。まずはバックスイングでの手の使い方をマスターしましょう」。そうして、そこからは、Annが組んだメニューに従って、まずはスイングプレーン矯正器具を使って軌道の確認を行って、その後15分ボールを打ち、今度は鏡でバックスイングの軌道を確認。そしたらまた矯正器具に戻って練習、このルーティンを徹底的に繰り返すことにした。

実は自分は今シーズン時々「シャンク」というミスに悩まされていた。シャンクとはクラブフェースが極端に開いて入って来て、場合によってはクラブのネックの当たりにあたってボールが真横に飛んでしまうという、とんでもないミスである(笑)。しかし実はこのミスはプロでも出ることがあるもので、あのタイガーウッズでさえ試合でシャンクのミスをしたことがある。自分もかつてシャンクが出た事があったが、しかし最近はそれが試合でもよく出て困っていた。試合でシャンクが出てると、一気にスコアを崩してしまうため、シャンクの克服が一番の課題だったのである。そこで自分なりにいろいろ考えてみたが、クラブが開いてくるということで、最初からクラブフェースを閉じて上げようとして、徐々にインサイドに上げるようになっていったのだが、実はこれが全くの逆効果!で、これによって、ダウンスイングで右手が下から入り易い状態をつくってしまっており、実はこれが原因でシャンクが出ていたのだ!今回Annのアドバイスでスイングを変えてみて、この事がはじめて分かった!実際、先週は3回のラウンドをしたが、シャンクは一度も出ずに済んだのである。

このようにして、スイングの矯正と、それ以外にグリーン周りのショートゲームの練習をして、初日はあっという間に過ぎたが、目から鱗の手応えの大きい一日であった。

さて、だいたい17時頃に練習を終えると、そこからのパターンはもうだいたい決まっていた。何しろ、真夏のオーストラリアの日差しを受けて、35度の気温の中での活動で、17時にもなるとへとへと。スーパーによって、食材を買い出し、家に帰ってビールを飲んで夕飯を食べてすぐに寝てしまう、の繰り返しだ。しかし、本当に暑いので、身体を冷やす必要がある、ということで、とにかくスーパーにいくと、トマトやキュウリなどの夏野菜を多く買い込み、これらを食べただけでなく、日焼けの酷いところには、きゅうりの輪切りを貼った(笑)。あとは、毎日大きなキッチンをゆったり使って久しぶりのヨーロピアン料理を楽しんだ。

買い出しは近所のとてつもなく大きいショッピングモール、Robina Town Centreに行く事が多かったが、オーストラリアはさすが食料自給率200%だけあり、食材は非常に豊富だ。陳列棚の間を歩くのが非常に楽しい。折角なので、日本ではあまり食べられないものを食べようということで、野菜ではクルジェット(ズッキーニ)などを買ってみた(左はクルジェットのパスタカルボナーラ)。それ以外は、やっぱりオーストラリアは肉が美味しいので、まあ、毎日カロリー消費は多いのでいいだろう、ということで、殆ど毎日肉を食べていたが、とくに子羊が大変美味であった。子羊は保温効果があるので、本当は熱射病になりそうなときに食べるのはよくないのであるが、その味にあっさり負けて、何晩か子羊を楽しんだ。ローズマリーのハーブとの相性が何しろ抜群である。

さて、こんな感じで毎日が過ぎて行き、朝は6時に起床。朝食を食べてカフェオレを飲み、昼の弁当を作って、8時にはゴルフ場へ。昼の弁当をつくっていくというのが、オランダ時代の社交ダンスの試合を思い出させて懐かしい感じがした。そして、17時まで練習とコースのラウンドをして暑さと疲れでバテバテになって、家にたどり着いたら、ビール一杯飲んでから、料理に取りかかる。こんな様子で殆どゴルフ一色。おまけに丁度行った週がAustralian Open ChampionshipとAustralian PGA Championshipの週に挟まれていたこともあり、テレビでもゴルフをよく見ていた。

このゴルフスクールには自分以外にも15名ぐらいの人がいて、殆どが1年単位で滞在している(中にはプロを目指している人もいる)。国籍は圧倒的に韓国が多い。最近の韓国は女子プロの世界的躍進が凄いだけでなく、男子でも昨年はタイガーを一騎打ちでやぶったY.E. Yangが国民的スターになっている程。国民的ゴルフ熱が高い。それ以外にもイギリス人のRay。彼とは2度一緒にラウンドしたが、彼は190cmの長身でゴルフの母国イギリスのシングルハンデ。オーストラリアの海岸沿いの強風の中でも、ノックダウンショットで低く球をコントロールする技術に優れており、最終日のコンペでは3ホール連続バーディのおまけ付きで36-34の通算2アンダーで周り、優勝を飾った。しかし何より驚いたのが、彼の本職がblacksmith(鍛冶屋 or 馬の蹄鉄打ち)であったことだ!それ以外には、タイ出身のタード。タイに帰ったら何するの?と聞いてみると、「ゴルフ」と返って来た(笑)。27歳の彼は家が大変裕福らしく(封建領主のような家なのだろう)、生まれてこのかた仕事をしたことがないとか。こういう人に会うと、改めて「働く意味」ということを考えさせられる。自分は仮にお金に困ってなくても仕事をしたいと思うだろう、それは仕事を通じて得られるものが大きいからだ。しかしまた逆に考えてみると、仕事ができる環境にあるのであれば、お金のために働くというのでは、あまりにも惜しい、ということだ。

このように実はゴルフだけでなく、いろんな人との出会いもあり、なかなか得る物が多い一週間となった。ちなみにオーストラリアについては、今回で訪問するのが、4回目。最初は高校生の時に奨学金を頂いてシドニー大学に2週間滞在。その後は、ケアンズでダイビングをして、2年前には仕事でメルボルンへ。ゴールドコーストは今回が初めてであったが、今回の印象としては、かなり「バブル」な印象であった。確かにオーストラリアは資源国で、原発に不可欠なウランの埋蔵量も世界屈指で豊富。今後も期待される新興国の経済成長に伴う資源需要で潤うのは間違いないだろう。しかし感覚的には、人口に対して、住宅が立ち過ぎの感あり。人口で言うとオーストラリア全土でも2200万人、Queensland州では400万人だ。その割に新興住宅地が非常に多く発生している。ぱっと見供給過剰であり、今後の不動産バブルが気になる。

それ以外に今回思ったのは、タイ出身のタードのように、世界にはうなる程お金を持っていて、使い道に困っているという人が大勢いる、ということだ。勿論、20世紀に最もお金持ちとなったのはアメリカの一部の人達であったが、タイなどの東南アジアや、中東のオイルマネー、ロシアの資源マネー、それ以外の地域でも、勿論日本を含めてとにかく使い道に困る程お金をもっている人はどこの国にも大勢いるものである。オーストラリアのゴールドコーストという土地が、そういう人達を惹き付けているのは間違いないだろう。何が要因かといえば、大きなものはやはり環境だろうと思う。海と太陽があって、人が少ない。そして英語が通じる!とにかくこういう人達を相手に商売ができる、というのは楽だ(笑)。

一方でふっと思ったのは、ちょっと飛躍しているが、世界中で皆が英語で話すようになったら、なんてつまんない世の中になるのだろうか、ということだ。特にオーストラリアがアメリカと同じく(アボリジニーは別として)移民が始まってからの歴史が浅くカルチャーに乏しいせいもあったかも知れない。英語以外の言語にももっと親しむようにしたいと何故か思った一週間であった。