2010年11月7日日曜日

海釣り&バービー@金沢八景

友人のお誘いを受けて、秋晴れの晴天の中、金沢八景で釣り船に乗った。

12時半発の半日コース。シロギス狙いの仕掛けで、食べきれない程の、いしもち、鯵、シロギス、を10人ぐらいで釣りあげ、陸揚げしてバーベキュー。

釣りは子供の頃から親しんだ遊びだ。釣り糸を通して手に伝わってくる「当たり」の感覚が懐かしい。自然と集中力も高まる。夢中で海に
キャスティングし続けているうちに、あっという間に半日が過ぎた。それにしても、天気も最高で、船で海に出るだけでもとても気持ちがいい。

バーベキューでは、鯵はたたき、シロギスは天ぷらに、いしもちは塩焼き、と思ったが、途中からいしもちも天ぷらにしたら、これが最高に美味しかった。いしもちは、今回初めて食べたが、身が弱めのため、天ぷらや唐揚げがあう。

今回の釣り船は、荒川屋というところのものだったが、男性女性20人ぐらいが乗船して、結構皆盛り上がって釣っていた。男性は5000円(女性は3500円)と、決して安くはないが、半日楽しむのには贅沢ないいレジャー。天気さえ良ければ最高だろう。是非またトライしてみたいアクティビティだった。




2010年10月31日日曜日

チキンブレストを使った料理

最近チキンの簡単で美味しい食べ方を発見した。これは、以前サロンdeリオで作ったことのある、キエフ風チキンカツレツ(正式名は、Viennese Style Chicken "Kiev" a la Salon de Rio(ウィーンスタイルで揚げたサロンdeリオ風のチキンキエフ)だった(笑))をもっと手抜きしたものである(笑)。上記チキンキエフ(長いのでこれでいく。本当はチキンキエフではないが)では、チキンの胸肉の真ん中に切れ目を入れて開き、塩コショウで味付けしてから中にチーズと大葉を挟み、小麦粉と卵とパン粉で衣をつけてバターを入れた油で軽く揚げたが、何もここまでする必要がない、と最近気がついた(笑)。

何をしたかというと、チーズと大葉を挟むところまでは一緒で、あとは小麦粉だけつけて、オリーブオイルを敷いたフライパンに放り込んで、冷蔵庫にあった野菜(ネギとエリンギとトマト)を一緒に入れて、蓋をして蒸し焼きに。途中でチキンをひっくり返して、少しお酒(なんでもいい。あまってた焼酎を入れた)を入れて、もう少し火にかけたら終わり。チーズが溶け出してちょっと脂っこくは見えるが、すごい簡単だし、旨い。あとチキンの油で味のついたエリンギとネギもとても美味しかった。

この日は、普通に仕事から帰って来てから、料理をはじめて、これ以外はあとはご飯を鍋炊きして(の方が圧倒的に早い)、あと味噌汁をつくったが全部で40分ぐらいだったと思う。ちなみに最近では味噌汁の出汁は必ず昆布(利尻がいい)と鰹節からとっている。面倒くさいと思われがちだが、決してそんなことはない。昆布は水からつけていれて火をつけて沸騰するまえに取り出す。そんなことが料理本には書いてあるが、そんなことは無視していい。自分は一旦取り出して、鰹節を入れて出汁をとってから、小さくきってまた戻して昆布も一緒に食べてしまっている(笑)。コツは鰹節をこさないで、箸ですくって取り出すこと。これが意外と簡単に全部とれてしまうものだ。これで時間も洗い物もぐんと減る。少しぐらい鰹節が残ったって、問題はないだろう。むしろ旨い。ちょっと話がそれてしまったが、チキンキエフの手抜き版、是非一度お試しを。

2010年10月24日日曜日

Better City, Better Life

「で、今日は何をされたんですか?」

我々は昼過ぎから夕方まで万博を見た後、タクシーを捕まえて、一旦浦西(プーシー)に位置するホテルまで帰って、シャワーを浴びてまたすぐにタクシーに飛び乗って再び黄浦江を渡って浦東(プードン)に来ていた。その日は浦東で在上海の知人や同僚4人に集まって頂いて、6人でディナーの予定があったからである。

「今日は、さっきまで万博を見てたんですよ」。

まさに予定通りの展開、というか、こういう会話が予想されること「だけ」が決定的な理由となって万博行きを決めていたのである。しかし、実際万博を見て得られたものは思いのほか大きいものとなった。

Better City, Better Life、の万博全体のスローガンのもと、中国パビリオンでは、いくつもの省の展示を回ると、「開発」と「環境」の二つのメッセージがはっきりと見え、沿海部だけでなく全中国を(クリーンに)開発(工業化)させ、生活水準を上げて行くのだ、という強い政治的メッセージを感じることとなった。となると、中国政府にとっては、まだまだたくさんいる内陸部の農村民に対して、いかに工業的な雇用を準備できるかが大きなテーマであり、そのためには、大きなポーションを占める輸出部門の成長を当面維持する必要があることから、米国を中心とした中国の通貨「元」の為替レート上昇圧力には簡単に屈しないだろう。一方、内需拡大政策も同時に推進する必要があり、そのためには徐々に賃上げも行って、中間層を広げる政策が必要だ、、、。といった話を一通りしてみたものの、「上海」を「日常」として日々経験しながら、目の前の問題に対処している方々にとっては、どちらかと言うと、次から次へと運ばれてくる中華料理の皿の方に関心が向きがちだったとしても、それははっきりいって仕方のないことである(笑)。

「こちらの暮らしの方はいかがですか?」

話しを現実的な方へ引き寄せた。そうしている間にも、いろんな皿が運ばれてくる。私はヨーロッパ料理も、中南米料理も、トルコ料理も、ロシアコーカサス料理も、もちろん日本料理も大変優れていると思っているが、中華料理が世界一だと思っている。それは世界一「うまい」からでも、世界一「すき」だからでもない。中華料理こそ、使われている食材と調理法の種類のかけ算によって出てくる料理の数が世界一豊かであるからだ。これは中国の地理的優位性と長年の歴史に因るところが大きいと思う。そのような世界一豊かな食事を中国の人は必ずといっていい程、大勢でテーブルを囲んで食べる。これは非常にいい文化だ。

「やっぱり、文化の違いをすごく感じますね」。

上海でコンサルティング会社の事務所を立ち上げているS女史が語る。

「なんて言うか、中国だと人と人との距離感がすごく違うんですよね。そしてものすごく、やはり個人主義的なんですよ。この辺は明らかに日本的文化とは異なるところで。日本企業から派遣されてくる駐在員の方も、この辺の違いに最初は面食らうでしょう」。

実はS女史は、自分の仕事上のつながりが少しだけあった方で、以前自分が関わっていた社内の企画に対して、素晴らしいご提案を持って来て頂いたのであった。しかしながら、この社内企画のオーナー部署が、S女史以外の会社を最終的に選んだため、残念ながら採用できなかったのである。しかし、自分は彼女のとてもプロフェッショナルで真摯な仕事への姿勢に大変感銘を受けて、その後も接点をつくるように努力していたのであった。それは彼女の能力やパフォーマンスが必ずや自分と自分の会社の成長に大きな効果をもたらす、と思っているからである。

自分の仕事上の信念のひとつ、というか、つねに心がけている原則として、こういうものがある。それは、自分と一緒に仕事をする全ての人がその仕事を最大限エンジョイできるようにしたい、そして最高のパフォーマンスを発揮できるようにしたい、そして自分と一緒に面白い仕事をして、それがきっかけとなって社内で大きく評価されて出世して欲しい。これは他社の人でも同じというか、むしろ他社の協力会社の人に対してよく思っていることである。過去、自分はそういう気持ちで欧州全土のあらゆる関係会社の人達と付き合いをしてきたし、その結果として、イギリスやイタリアの会社の人達と特別な関係をつくることができた。そういう人達と今でも時々会う機会があるのは大変嬉しいことだ。特にイタリアの会社の方から今では仕事の関係が殆どなくなったにも関わらず、時々連絡をもらっている。しかし、自分は決して接待を受けることはしない。前回も、最高のイタリア料理で5コースの食事を若いイタリア人のセールスマンと食べた事があったが、2人分自腹で逆にご馳走させて頂いたのだった。それは接待を受けているからその会社を贔屓していると決して思われたくない、という気持ちもあるにはあるが、どちらかと言うと、やっぱり我々のためによく仕事をしてくれていることへのお礼の気持ちの方が強い。この若いイタリア人のセールスマンとは、こうして何度もプライベートで食事をしながら(いつも必ずお決まりのイタリアンレストランだった)、お互いがどう協力し合ったら素晴らしい成果が挙げられるか、どんな事をすることが新たな価値の創出につながるのか、といった話をし、そして相手も本当にそれによく応えてくれた結果、自分たちも彼らの助けのお陰で今までにないパフォーマンスが発揮できるようになった。このS女史は、いつかそのように面白い仕事を通じてお互いWin/Winの関係をつくっていきたい、と思っている一人であることは間違いない。

「明日はどんな予定になってるのですか?」

いつもその日の予定は朝食を取りながら決めるのがこの旅のパターンになっていた訳で、もちろんこの段階ではまだ未定であったが、おそらくもう一日万博に行くだろう、という話をしていた。そしてその通り、翌日は今度はもっと早い時間から万博会場へと足を運び、前日の中国、アメリカ、に続いて今度は、インド、日本、フランス、オランダ、などを中心に丸一日か以上を歩いた。その結果、万博への各国のアプローチの違いや、日本の強み弱み、そして中国の今の状況など、非常に示唆に富んだ経験を得ることができたが、その夕食の晩の時点では、そこまでの事はまだ予想すらしていなかったのである。

2010年10月8日金曜日

シーボ。

「うーん、おかしいなあ。やっぱり通じてないよ。Expoぐらい通じると思ったんだけどなあ」。

11時を過ぎて万博行きを決め、ホテルのダイニングを飛び出してタクシーを捕まえたはよかったが、Expoが通じない。

「バンパク、バンパク!」

今度は友人が思い切って日本語でそのまま言ってみる。しかし、やはり通じない。
「やっぱりだめか」。

「うん?え?何?What?」。

「おい、何か言ってるよ、このドライバー。何言ってるのかね?」。

「うーん、ダメだ分からない。よし、こうなったら。これを言ってみよう」。

「プーミンバイ!」

「え?何それ?今何て言ったの?」。

「いや、ミンバイって、確か I understandなんだよ。それに「不」をつけて、プーミンバイ。これで I don't understandで通じてる筈だよ」。

「そうなんだ」。

そうしている間もタクシードライバーが半身で後ろを見ながら、何やらいろいろ言っているが、当然のことながら、こっちは何も分からず、自然とこのプーミンバイが連発されるようになってきた。

「プーミンバイ!」

「おい、何か急にドライバー静かになってきてないか?そのさあ「プーミンバイ」って、表現的に本当に大丈夫なのかな?ただ「分かりません」ならいいけどさあ、なんか「全く意味不明!」とかさあ、そんなニュアンスなんじゃないだろうね」。

「え、それって、何、例えばタクシーの運転手が、「どちらに行きたいんですか?次の交差点は左でいいんでしょうか?」とか言ってて、俺が「全く意味不明!」とか連発してるって状況(笑)?」

それは面白い、と2人で暫し爆笑。

「あれ、ちょっと待て。また何か言ってるよ。うん?シー?シーブ?シーボ。シーボって言ってないか?何だろう?シーボって?ん?ピョウ?シーボ?ピョウ?」

「シーボって、これのことじゃないか、ひょっとして。「世博」」。

「あ、それだ!」

ここ上海では、万博ではなく、世界博覧会を略して世博って言ってるんだ、と納得。

「そうそう!Yes, Yes!」

やっと通じたと思ったのか、タクシードライバーも「うんうん」と頷き嬉しそうな表情だ。しかし、またしても何やら言っている。そして今回もどうやら、「ピョウ」を連発しているように聞こえる。

「ピョウって、、、、まさか、あれじゃない?「票」。チケットじゃない?」

「あ、なるほど!確かに」。

でも、何だろう?チケットを持ってるかって聞いてるのかな?

「No, we don't have the tickets!」

取りあえず英語で言っておく。多分通じてはいなだろうけれども。

「あれかな、ひょっとしてチケット持っている人とそうでない人で、入り口が違うとでもいいたいのかな?あれ、ちょっと待て、何か出して来たぞ」。

「あ、これ万博のチケットだよ?持ってるんだ、このドライバー!」

「いや、ちょっとまて。これ本物って保証はないよ。やめとこうよ」。

「いくらふっかけてくるのかな」。

そういって、まずは値段を聞いてみると、どうやら160ということが分かった。160ということは、このチケットに書いてあるのと同じ数字である。

「あれ。マージンとってないよ、これ。どうする?」。

「160っていうと、いくらだ?2000円ちょっとかあ。うん、ま、ここで買ってみよう」。

そう結論が出た頃には、既に我々は黄浦江にかかる盧浦大橋を渡り終え、万博会場を上から見下ろし、そこに並ぶ300台以上の観光バスが目に入って来たころだった。

「それじゃ、チケット代含めると、全部で350か」

と言うと、友人が止めた。

「ちょっと待った。このドライバーは要領を得ないドライバーだからさ、いきなり350渡したら絶対混乱するよ。タクシー代とチケット代とで2回に分けて払おう」。

そういうと友人が身を乗り出して代金を支払いはじめた。

「For the ride, RMB 30. Yes, yes」

「Okay, RMB 320 for リャン ticket、リャン ticket、いや、リャンピョウ」

いちおう分かるところだけは、中国語を混ぜてみる友人。しかし、こうして支払うと、見事、すんなり済ますことができた。

こうして会場に到着すると、早速入場ゲートまで向かう。果たしてこのチケットが本物なのかどうか。真実の瞬間、と思いながら、電車の自動改札のようなところに通すと、ちゃんと通過することができた。

そうして中に入ってみると、最初に見えて来たのが、赤い大きな伝統建築を思わせる中国のパビリオンであった。

2010年10月4日月曜日

そして上海万博へ。


「さて、今日は何しようか」。

例によって朝食のコーヒーも二杯目に突入した頃、漸くこの日の予定について話すことになったのは、前日の発見について一通りの解釈を終えたあとであった。

「やっぱり中国人のというか、上海人のお金に対する信仰には思った以上のものがある」。

そう友人が言いながら、前日の預園での出来事を振り返る。預園は、1559年に四川省の役人によって造園が開始された2万平米にもなる広大な庭園で、明・清時代の江南式建築を現代に伝える見事な庭園だ。我々は、外灘周辺を歩いた後、タクシーに乗り込んで、このいつ行っても観光客でごった返している有名な観光地へ飛び込んでいったのであった。

「だってさあ、あの沈香閣での線香、皆黄色のやつを選んでたんだぜ。ピンクの方は俺以外には、殆ど選んでる人を見なかったよ」。

確かに黄色い線香で拝んでいる人を多く見かけた。沈香閣は預園エリアにある清代に建てられた廟だ。ここには、2種類の線香(といっても、巨大なものであるが)がおいてあり、購入できるようになっている。参拝者は、これを購入して、火をつけてお祈りをする習慣があるようだが、ピンクの線香は幸運一般、黄色い線香は、蓄財の意味がある、との説明があった。

「これだけお金儲けに皆がどん欲というのは、経済発展にとっては、いいに違いない。やっぱり中国は買いだよ」。

相変わらず続く、この中国が売りか買いかの会話。しかし、その後本当に大量に買い込むこととなったのは、預園の敷地内にある有名なティーハウス、湖心亭で飲んだのがあまりに香りがよく感心した、中国茶であった。

湖心亭は、預園の敷地の池の真ん中に浮かぶティーハウスで、エリザベス女王も訪れた事のあるところ。ここでヨーロッパ人2人を連れて観光していた日本人女性が声をかけてくれて教えて頂いたお茶が非常に美味しかった。

「しかし、あのお茶を教えてくれた人は、万博に3日間も通うって言ってたね。すごいよね」。

我々はこの時期に上海に行く事にしていたものの、万博に行く確実な予定は特段なく、通常なら万博チケット付きのツアーで日本から行く人も多い筈だったが、我々は当然ながらチケットはなし。もちろん、出発前に「上海にいくんだ」「あ、万博いくの?」という会話は少なく数えても、10回ぐらいはしていたと思う。「いや、多分いかない」という反応に「え?いかないの?」と皆一様に驚くものの、「でも、丸一日つぶして万博行きたいと思う?」と聞き直すと、「そうは必ずしも思わないけど、話のネタにはなるよね」、という返答がよく返ってきたものだった。ま、その程度の思いしかなかった我々からすると、三日間もかけて万博を回ろうというこの観光客がにわかに信じがたい気持ちになっていたのである。

「今日は何しようかね?」

「その前にさあ、あと残り3日間の予定の全体イメージを考えようよ」。

「え、もうあと3日?」

「だって、昨日は外灘と預園と新天地にいって、今日なわけでしょう?そしたらあと3日だよ」。

「そうかあ、もうあと3日かあ」。

全体で4日間しかない割には、あと3日というのがえらく短く感じる。

「そうだねえ。上海は昨日一通り見た感じがするしねえ。この後は、やっぱり一日は上海の郊外の蘇州あたりにでも足を伸ばすとして、一日はやっぱり金融機関を訪ねていろいろ調べてみたい。となると残りはあと一日だなあ」。

「一日はお土産を探すのにちょっとだけ買い物がしたいなあ」。

「そうなってくると、万博は、、、、やっぱり無理かあ。とりあえず、今日は郊外にいかないか?」。

「そうだなあ。でも郊外に出るなら、朝早く行った方がいいんじゃないか。今日はもう、、、11時だよ」。

「となると、浦東の金融センターに行って、金融機関巡りでもするか。ディナーも今日は浦東地区の予定だしね」。

その日の晩は正味4日間の上海滞在の中で、唯一あらかじめ予定が決まっていた晩で、上海に居る同僚や社外のコンサルタントの知人に集まって頂いて一緒に中華の円卓を囲むこととなっていたのである。

「やっぱりさあ、今日、これから万博いかない?」。

突然、友人が言い出した。

「だってさあ、今日の晩は皆で食事だろ。今日は何したの?て会話に絶対なるしさあ、その時に銀行行ってましたじゃ、つまらないよ」。

「そうだね。今日はこれから万博へ行こう。よし、今すぐに出よう」。

こうして、上海滞在の二日目の昼から万博へ行く事が決まると、すぐにモーラービラホテルのダイニングを飛び出し、陜西南路(シャンシーナンルー)の通りに出ると、タイミングよく延安中路を右折して曲がって来たバンタイプのタクシーを捕まえることに成功した。

「To Expo, please. The World Expo!」。

タクシーのドアを締めるや否や、すぐさまタクシードライバーに告げたのであった。

2010年9月27日月曜日

上海人は前しかみない。


「うわっ。すっごい人だわ、ここ」。

さすが上海一の目抜き通りだ。人民広場から南京東路に出てくると、完全歩行者天国の通りを挟んで両側にあらゆるお店がならび、夥しい数の歩行者が通りを行く。

「あ、危ない!」

通りを行くのは歩行者だけではない。なんと、歩道の上を、トラムが後ろから迫ってくる。しかも、ベルすらならさずに、人ごみの中を目がけて突っ込んでくるではないか。

「うわ、全然よける気配がないぞ。逃げろ!」。

慌てて脇にそれると、観光客をのせたトラムが何事もなかったかのように進んで行く。そしてその先々で人がそれをまたよけて行く。しかし誰も驚いた様子はない。これが日常なんだろう。

「おおぅ。ユニクロだ!こんな中心に店出してるんだなあ。ちょっと入ってみようよ」。

そういって、我々はユニクロを覗いてみることに。しかし我々は何もユニクロで買い物がしたい訳ではない。ユニクロなら東京で行けばいい話である。ここでは、商品や価格、そして店の雰囲気が見たかっただけだ。

「ほほう。なるほど。見て、これ、シャツが200元だよ。ということは、、、。日本円に換算すると、約3000円。こっちの水準で考えたら、決して安くないなあ。ていうか、高級路線だろ、完全に」。

「売れんのかね、これ。これだけの人通りにしては、店の中はあまりお客さんが入ってないなあ」。

「しかし、これで爆発的に売れた日には、株は間違いなく上がるよ。しかしそのためには、今後の中国の内需がどれだけ拡大していくかが重要だなあ。だって、これじゃやっぱり購買層は限られてくるよね」。

そんな事を口走りながら、店の中を一回りしてから外に出た。

おい、青なのに。あ、危ない!」。

店を出て河南中路との交差点に出たその時である。信号とは関係なく、もう歩行者もバイクも車も皆前だけみて交差点に突っ込んでくるではないか。

「上海人は前しかみない」。

しかしそれは何も交差点だけに限った話ではないのかも知れない。ひたすら前だけを見て、突っ込んで行く。周りの人の事などおかまいなし。とにかく自分の行きたい所に向かって突き進む。それも強烈に。怪我をしたくなければ自分でよければいいのだ。いちいち相手を気遣っている暇はこっちにはない。上海一の目抜き通りを行き交う人達のそんな姿勢が、上海人の生き方そのものを象徴しているかのよう。そんな事を思ったのは、しかし上海の滞在も終わりに近づいた頃だっただろうか。この日はまだ、この当たりの強い上海の空気に漸く慣れ始めたぐらいの段階だった。

「この先をまっすぐいったところが、サッスーンハウスの筈だ」。

サッスーンハウスとは19世紀にアヘン貿易で巨富を築いた上海の支配者サッスーン一族が建設した建物で、当時東洋一の建築物との異名をとった壮大な建築。緑のピラミッド上の屋根が目印だ。

「せっかくだから中に入ってみよう」。

サッスーンハウスは当時アヘン貿易で東洋一の財閥となったサッスーン商会のビルでもあり、最上階はサッスーンの住居でもあった歴史ある建物であるが、今ではここはホテルとなっている。

「うわっ」。

ロビーに出ると、そこは目もくらむようなまばゆい空間。

「うわっ。これ、ひょっとして本物の銀じゃないか?」

ロビーの四隅には、サッスーンハウスから見られる上海の景色が巨大な銀の彫刻で表現されている。

「いやあ、これはすごい富だったんだなあ」。

上海が開港させられたのは、1842年のアヘン戦争の結果であった。当時イギリスは、というかイギリス東インド会社は、既にインドを支配下におき、中国との間で三角貿易を行っていた。産業革命を果たし世界の工場となったイギリスで生産した綿製品をインドへ輸出。中国からは、お茶、シルク、陶磁器、などいくらでも買いたい物資にあふれていたが、逆に中国には輸出できるものがなかった。そこで中国との貿易を銀で決済していたため、どんどん銀が中国に流出して困っていたのである。そこで目を付けたのがインドのアヘンだった。これを中国に持ち込んだのである。このアヘン取引を牛耳ったのが、サッスーン一族である。そしてこのアヘン貿易の決済のためにサッスーン一族と同じくアヘン貿易で巨富を築いたジャーディンマセソンが設立した銀行が、HSBC銀行だ。

アヘン戦争の結果上海は開港させられ、そして黄浦江の縁、外灘に最初の英国租界ができ、不平等条約のもと、一攫千金を求める様々な人がこの上海の一角になだれ込んで行った。長崎のグラバー邸で有名なトマスグラバーもその一人だ。当時上海は何でもないただの漁村だったのが、列強の進出とともに、ここに混沌とした世界が突如生まれることになったのである。英国の次には、アメリカ、フランス、ロシアが租界を設けた。そして数々の西洋建築物を建てて行ったのである。このようにして、当時の上海は東洋一活気のある街となった。そしておそらく、中国の共産革命まで、その繁栄は続いていたに違いない。今でこそ、東京の方が洗練された都会だと言えるかも知れないが、戦前は圧倒的に上海の方が大都会だったのは間違いないだろう。そしてその大都会は近代の日本の知識人達も惹き付けた。

「しかし、経済発展て一体なんなんだろうなあ。だってさあ、このどん欲で周りを気にせず前だけをみて突き進む中国人の資質なんて、4000年前も今も、アヘン戦争の前もその後も、革命の前も後も、きっと変わってないに違いないんだ。それなのに、経済の波はこれほど極端に押し寄せては引いていき、そしてまた怒濤のように押し寄せている」。

「結局、資本がどれだけ投下されたか、というのが大事だということなんじゃないかな。とにかく資本主義経済においては、経済発展とはすなわち、その地域に循環するマネーの量を言っているに過ぎないわけだろう?GDPってのは、要するに、その土地でどれだけのマネーが動いたか、ということなんだし」。

「となると、今の中国に実力以上のマネーが集まり過ぎているのか、それとも実力が追いついてきているのか。この辺もポイントになるわけだなあ。しかし、見た感じやっぱりバブルな感じはあるけどね」。

強い日差しの中を少し歩いたせいもあってか、外灘のカフェで飲むビールがひときわ美味しい。

「さて、外灘もざっと一応見てみたし、次はどうしようかね」。
「少し裏道も歩いてみて、そこからお茶でも飲みにいくか。中国の茶室に行ってみよう」。

そうして向かった先は、預園だった。

























2010年9月23日木曜日

朝食から始まる上海の一日


「いやあ、やっぱり上海はすごいね」。

旧イギリス租界のバンド(地区)は中国語ではワイタン(外灘)と呼ばれる。上海一の目抜き通り、南京東路を右に折れると、この通り周辺こそが外灘。河(黄浦江)に沿って500mぐらいの細い一帯に、壮麗な西洋式建築が並ぶ景観は、圧巻だ。

我々は、この外灘を5ブロック歩いたところの角にあるビル、外灘3号に入って行き、ジョルジオアルマーニの基幹店の中を通ってエレベーターに乗った。

「ガイドブックによれば、確かここにカフェが入っている筈だよ」。

しかしエレベーターのボタンにはカフェらしき案内がない。(一体、何階なんだろう?)。エレベーターに飛び乗るも、階のボタンを一向に押さずにそわそわしている我々に、他の乗客が怪しい視線を向ける。狭いエレベーターには、他に5人の西洋人の女性達が乗っていたのだ。(この人達、一体誰?)。ほんの一瞬気まずい空気が漂ったその瞬間、彼女達がフランス語で何やらひそひそ話を始めた。何を言っているのかは聞こえないが、フランス語であることははっきり分かった。我々の事を怪しんでいるのだろうか?

Est-ce qu'il y a an cafe? (カフェって、ここにありますか?)。

Sept. (7階よ)。

とっさに昔勉強したフランス語が口をついて出てきた。こういう時は何か会話をした方がお互い安心するというものだ。しかも自分の国の言葉であれば尚更であろう。

7階につくと、そこはNew Heightsというお洒落なダイニング&バーであった。テラスに出ると、河(黄浦江)の東に広がる現代の金融センターの超高層ビル群と西に広がる19世紀の金融センターの西洋建築街が一望できる壮観な景色が目の前に広がった。

「いやあ、本当にすごい」。

上海は仕事では何度か行った事があったが、一緒に行った大学時代からの友人にとっては初めてであった。かといって、今回我々に特別な計画があったわけではない。

「取りあえず、今日は市内を歩いて回ってみようよ。まずは人民広場からメイン通りを通って外灘あたりがいいんじゃないかな」。

地図を見ながらやっとその結論に達したのは、その日の朝、ホテルで朝食を食べ始めて2杯目のコーヒーを飲み終えたぐらいの時だった。それもどちらかと言うと、ダイニングルームの終了時刻11時を回ってなお、のんびり話し込んでいる我々2人を何とかしようと、従業員が一斉に片付け始めたからだったと言ってよい。

「それにしても、このホテルは正解だったねえ。上海の騒々しい中心地にほど近いのに、ここだけは嘘のように静けさがある」。

実は、ホテルを決めたのは、上海出発のなんと1日前だった。というのもリサーチと話し合いに5日間ぐらいかかったためであり、特に最後の3日はほぼ徹夜に近い状態だった(笑)。そうして決めたのが、ここMoller Villa Hotel。19世紀から20世紀にかけて上海で活躍したユダヤ人の富豪、Eric Moller氏の邸宅を改築してホテルにしたものだ。洋館といえば洋館であるが、Eric Moller氏が娘さんのために建てたメルヘンチックな建物であり、一見お城のような独特の外観が特徴。しかし一歩中に入るとアンティーク家具に囲まれた空間が落ち着いた雰囲気を醸し出し、都会の喧噪を一気に忘れさせてくれる。ここのダイニングルームはまさにそのような空間だった。

「いやあ、本当、苦労して探した甲斐があった」。

上海での4日間の過ごし方は、全てその日の朝、このダイニングルームで朝食を食べて、コーヒーを飲みながら決めることとなり、その結果としてどの日も豊かな時間を過ごした事は間違いのない事だった。しかしながら、この毎日の朝食の時間そのものがまず非常にリッチな時間であった。朝食の時間には、その日の予定以外にも、ここで前日の振り返りをしながら、小さな発見を共有したり、どんなインスピレーションを受けたかを勝手気ままに披露したり、更には、中国の文化経済習慣について、仮説を言いながら大いに議論を繰り返した。それによって、見聞きしたつぶつぶの事象を繋ぎ合わせ、点が面になっていくように、いろんな事が整理されたように思うのである。

そんな風に朝食の時間を過ごした後、最初に出かけて行ったのが、外灘だったという訳である。